いつも空は、曇りときどき晴れ

自分史、人生曇り空ばかりだけど、ときどき晴れがちょうどいい時もある

最期まで夢を追いつづける生きかた

「看護師さん、あなた何かやりたいことある?」

 

目をキラキラさせて私に質問をする人がいた。
新米ナースの私に向かって同じことを何度も聞くんだ。

新人ナース23歳の頃。


「特に、やりたいことなんてありませんよ…」


いつも、同じ質問に対し同じ返答をしてしまう。
仕事の事で手がいっぱいなんだ。
同じ返答をしても、また同じ質問をする患者さん。

 

入院時から個室希望をされていた。
45歳の独身女性、仮名柳田さん。
柳田さんは、乳癌で胸部から腹部の上皮に癌細胞が湿潤していた。
乳癌原発の上皮転移かつ腋窩リンパ節にも転移があった。
医師は柳田さんに余命宣告をしている。
あと1年半。

そんな柳田さんが毎日会う度に私に問いかけるのだ。

柳田さんは個室でいつも勉強をしていた。
中身を見ると、高校レベルの教材ばかり。
大学の過去問教材もあった。

 

「柳田さん、なぜ高校レベルの勉強をしているのですか?」

 

私が質問すると、柳田さんは待っていましたと言わんばかりに目をキラキラさせる。

 

「私ね、もうすぐ東京大学を受験するの。」 

 

「えっ!今、大学ですか? 治療はどうするんですか?」

 

かなり私は驚いたのを覚えている。

 

「治療は受けませんよ、スゲノさん。」

柳田さんは、胸を張って堂々と宣言するんだ。

 

化学療法や放射線治療を拒否した柳田さん。
MSコンチン(麻薬錠剤)だけ内服しながら、ひたすら勉強する。

 

一体、何の意味があるのか。 

 

新米看護師は、柳田さんの気持ちを理解できなかった。

柳田さんの上皮癌細胞は、浸出液や出血で消毒処置に手間がかかった。

1日4回は消毒し直さないといけない。
柳田さんは、このまま治療をせず退院するという。
退院して勉学に励み、東京大学を受検するというのだ。
退院に向けて、癌細胞の処置の仕方を柳田さんに指導をする。 


「スゲノさん、何かやりたいこと見つかった?」


また、柳田さんが聞いてきた。


「仕事が終わっても、レポートをやらなければならないし、調べものもあるし、時間があるなら寝たいです、寝たいですよ。」 

 

そう、答えたら柳田さん、思いっきり笑うんだ。


「いいわねぇ~若いって、うらやましい。」

 

柳田さんは、少し思いつめた表情をした。


「私は、あと1年半の命、生きる長さなんて重要ではない、生きる質が重要だと思ってねぇ、ベットに伏せっている時間がもったいない、やりたいことをやるの。」

 

柳田さんが真剣な表情で話してくれた。

やりたいこと…

命の長さを削っても、やりたいこと…

 

「やりたいことって、大学受験ですか?」

 

「そうよ、この歳で悔いが残らないよう受験するの、私の昔からの夢なの、この病気になって、もう一度、受験したいと強く思うようになったの。」

 

「学生のとき、受験すらできなかったから、リベンジってとこよ。」

 

柳田さんは話を続ける。

「合格しても大学には行けないかもしれない。」

「でも、昔のリベンジを果たす、やることに意味があるのよ、病気になってそう思えるようになった…」

 

柳田さんが、ものすごくキラキラして輝いているのは、そんな志があったからだ。


だから、柳田さん、小娘に何度も何度も聞くんだ。
「何かやりたいことはないの?」って。

時間なんてあっという間に過ぎるよって。
何をぼやぼやしているのって。
言いたかったんだと思う。

伝えたかったんだと思う。

 

柳田さんは、一時退院して念願だった東京大学を受験した。

結果は不合格だと知らされた。

 

春、もし合格していたら入学していたであろう時期に、柳田さんが緊急搬送されてきた。

バイタルサイン不安定、呼吸状態が悪く、呼吸器を装着しなければならない状態。

息をゼイゼイさせて私の腕を軽くつかんだ柳田さん。
力を振り絞って。

私に訴える。

力のない小さなかすれ声で。


「リベンジしてきた」


やったぞって、自慢しているみたいだった。
柳田さんは、口角を少しあげた。
柳田さんは、かすれ声で最期の言葉を残した。
リベンジしてきた・・・と。

 

呼吸器が装着され、柳田さんは話せなくなった。

柳田さんは、余命宣告を受けて10ヶ月後に息をひきとった。

1年半より短い10ヶ月。

命の長さは必ずしも幸福度に比例しない…

ふとそう思ったのを覚えている。

だって、最期の柳田さんを見たら分かるもの。
柳田さんの死に顔が満足げで、穏やかだもの。
なんともやり抜いた感が顔に出ていた。
生きる質を高めるために、やりたいことがある。

そう言った柳田さん。

私は、どんな生きかたをしたい?

私は、どんな生きざまを大切な人に見せたい?
新人ナース、生きる質を考えたきっかけを作ってくれた柳田さんに感謝したい。