いつも空は、曇りときどき晴れ

自分史、人生曇り空ばかりだけど、ときどき晴れがちょうどいい時もある

看護師を目指した理由

 

助産師・看護師を目指した理由。


一言でいえば、「自己満足のため」である。

 

 


高校入学後、私は美術大学を目指すために、進学コース文系を選択する。

美術大学を目指したきっかけは、中学のダイシとの約束があったからだ。

 

いつか、大人になったら個展に招待する約束。

 

私の絵は独特な表現をするせいか、周囲には不評だった。

でも、ダイシだけはなぜか褒めてくれて、少し自信を持てるようになったんだ。

いつか個展を開こう…美大へ行って技術を学ぶんだ。

単純な私は、高校に行ってもその約束を守ろうとしていた。

恋の盲目で、大事な大事な夢を忘れてしまっていた。


毎日部活でデッサンと油絵を描いていた。

部室に美大予備校のパンフレットがあり、そこには「無料お試しキャンペーン1週間」と書いてある。

すぐに食いついた。

私は、両親に内緒で申し込んだ。
美大予備校の講師が、両親に言えない理由を聞いてきた。
私は、何も答えられなかった。
講師にも苦い記憶があったようで、それ以上追求せず無料お試しを受けてくれた。

予備校は私にとって神聖な場所に映った。
予備校生の熱意と集中力に圧倒された。
高校の部活活動とは雲泥の差であった。
一瞬で惹かれ憧れた。
私も予備校で描きたい。
1週間の間、心から楽しく絵を描いていた。
予備校の友達もできた。

私は、また別の美大予備校を探した。
お試しキャンペーンで、また予備校に行きたい。

かれこれ数ヶ所、東京まで行って予備校をはしごした。

どうしても予備校に入塾したい。
でも・・・

私はすぐ市立図書館に向かった。
大学費用について調べた。
本にはこう書かれてあった。
大学費用ランキング。
医大
②音大
美大

これを読んだときは愕然としたのを覚えている。
重い足取りで帰宅。

我が家は貧乏で、毎日両親が朝から深夜まで苦労して働いている。
自営業で生まれた時から両親の働いている姿を見てきた。
私も幼い頃から仕事を手伝ってきた。
稼ぐ大変さを体で知っている。

美大予備校は、学習塾に比べ授業料がべらぼうに高い。

お金に絡むワガママは、これまで言ったことがない。
兄がよく両親にお金をせびった時、兄を責めて兄妹ケンカをよくしていたくらいだ。
それなのにお金のかかる美大予備校に行きたいと思っている。

両親に予備校でもらったパンフレットを出した。
パンフレットを読んだ父親は沈黙を守る。
突然立ち上がり電話をかけはじめた。

緊張感でいっぱいだった。

父親が受話器を置いた。
「私立の美術大学4年間で画材代含め3000万かかると…家を売るしかないな。」

国立東京芸大は難易度が高い。
ましてや、美大予備校すら通えない。

気を引き締めた。

「そんなに高いんだぁ~興味はあったけど、そこまでして行きたくないな、やめるわ~。」
笑いながら軽くさらっと答えた。

両親を煩わせたくはない。


自分の部屋で1人、美大予備校の冊子をまだ眺めていた。
じわじわ涙が出てきて、予備校の光景を思い出したら、我慢していた感情が胸に込み上げてきた。

涙がとまらなくなって、声を出して泣いた。
目がお岩さん状態になってた。
泣きすぎて目が開けづらくなった。

人生時には、諦めるということも必要だと知った。
それは、堂々と潔く、身を引くのだ!

真っ直ぐあった道がぐちゃぐちゃになる。
進路がわからない。
普通の大学行っても、そこにやりたいことはない。
しかも、大学費用がもったいない。
無駄にしたくない。


職業雑誌や大学案内を読んでも、ピンとくる進路は見えない。
周囲は、大学に行ったら決めればいいじゃないっていう。
私は首をふる。

考えるための大学に行く無駄な学費はうちにはない。

悠長なことを言ってる場合じゃないんだ。

いろいろ考えているうちに、勉強や部活にまったくやる気をなくしてしまったんだ。

 


思いつめている私を見て、母親はホコリがかぶったダンボールを出してきた。
開けてみると、懐かしい私の作品ばかり。
中にあった幼稚園の誕生日カードに目をとめた。
開くと6歳の私の写真がはってあり、裏に何か汚い字で書かれてあった。


将来の夢
「せかいの かんごふになりたい」

 

思い出した。
NHKドキュメンタリー番組、アフリカの飢餓に死する子供を特集したものを見て、大泣きした記憶がある。
医療団体の白い人に羨望したんだ。
幼稚園だった私は感受性が強く物事を考えすぎる傾向があった。
でも、16歳の私には誕生日カードを見ても心は動かされなかった。
懐かしい思い出の1つにしかすぎなかった。

また、家でごろごろ過ごす日々が続く。
やる気がおきない。
何もしたくない。

先が見えず、途方に暮れていた時、
出会った詩がある。

 

高村光太郎

「道程」

 

何度も何度も読んだ。
繰り返し暗記してしまうほど読んだ。
まさに、今の自分のために書かれた詩だと思うほど、道程は私にフィットした。

私の前に道はない、後ろには足跡が残る・・・

高村詩集にすっかり感化された私。
高村光太郎に尻を叩かれた気持ちになった。
しっかりしろ!
道程のように、自分の力で前へ歩いていく。
たとえ険しい地でも、堂々と前へ前へ行く。
自分の力で足跡を残していくんだ。


私は、それからある決断をする。

職業雑誌や大学案内を眺めていても分からない。

実感がないからだ。

いろいろ経験をしていく必要がある。

甘ちゃんの自分を置いてみよう。

 

両親から離れて自分探しをする!!


両親に甘えるのはやめよう。

私は多種多様のアルバイトを始めた。
ウェイトレスから調理、試食販売に靴職人。
さらに、埼玉小児医療センターでの活動に参加し、週1のペースでお手伝いをした。
◯◯療育園でのボランティア活動は、高校1年の夏休み全部を利用した。

 

進路の話をする前に、翔ちゃんについて書きたい。
私には小学2年からのハンディキャップを持つ友達がいる。
翔ちゃんは小児麻痺で車椅子生活だった。
父親の仕事を手伝ってくれる方の息子さん。
翔ちゃんのお母さんが仕事している間、私と翔ちゃんは一緒に遊んだ。

週に3回、翔ちゃんは家に来て5時間ぐらい一緒に遊んだ。
翔ちゃんは私より3つ年上だったけれど、私にとって、かわいいかわいい弟みたいな存在だった。


「じゅんたたん、じゅんたたん。」
私をかわいい声でいつも呼んでくれる。

 

翔ちゃんの状態。
自力歩行困難、介助で立位可能。
トイレ・入浴介助必要。
言語障害と知的障害がある。
頸部硬直のため右側偏移。
右側口角開閉困難、常時唾液大量排出。

 

私と翔ちゃんは、遊びの工夫をして楽しんだ。
言葉遊びゲーム、発声練習。
文字遊びゲーム、お手紙交換と文字盤。
車椅子を押しながらお散歩で駄菓子屋へ行き、買い物をする練習。
テープの音楽に合わせて、一緒に歌を歌う。

歌をうたう時が一番喜んでいた翔ちゃん。

 

高校2年の夏休みに◯◯療育園へ旅立つ。
両親から離れて、療育園の母子寮に1人で1ヶ月半暮らさなきゃならなかった。
療育園の見学。
ボランティアの人数は約50名に及んだ。
見学時、7割以上のボランティアが退場し帰っていった。
施設は悪臭がたちこめており、40畳ぐらいの畳の上に寝たきりの方が50人転がっていた。
畳の端には、大量の汚染化された布オムツが山になっていた。
時間がかなりたっているようで悪臭が際立つ。
寝たきりの方々は、うめき声を出し奇声を高くあげる。
唾液が、畳だけでなく通路にも大量に溢れていた。

50人の寝たきりの方々は、全介助を要した。

夏休み期間、スタッフが休暇をとるためボランティアを募集したという。

スタッフの人数があまりにも少ないと思った。

 

翌日、ボランティア人数がたった2人だけになってしまったのだ。

高校1年の私と高校3年の男子生徒。


さっそく、仕事を始めた。
寝たきりの方々約50人、スタッフ4人にボランティア2人が対応しなければならない。

1日3食の車椅子乗車に食事全介助、歯磨き。
1日12回以上の布オムツ交換、オムツ手洗い。
1日1回の入浴介助を50人やる。
1回1回の車椅子でのお散歩。
風呂掃除、汚物入れバケツ50個分洗い。

朝7時半~夕方18時半。
20時になることが多かった。

初日、いくらバイトで働くことに慣れているとはいえ、内容があまりにも過酷な仕事だった。
入浴介助はかなりキツかった。
腰が砕けるかと思うほどギッブアップしたくなった。
しかもたったの6人で。
見学にきたボランティア希望の人がほとんど帰ったのを思い出し、内心こう思った。

 

私もみんなと一緒に帰ればよかった。

今からでも帰ろうか。


母子寮にたった2人。
もう1人は、高校3年男子だ。
相談しにくい。

考えているうちに朝が来てしまった。
アルバイトの経験のおかげか、自然に施設に向かっている自分がいた。

施設のドアを開ける。

畳の部屋にゴロゴロ寝転ぶ人達がいる。

1人では全く動けないし、しゃべれない。

うめき声と奇声を出す…
私は、まず疑問に思った。
スタッフに聞いてみよう。

 

「ここの方達は、なぜ寝たきりになったのですか?」

 

スタッフは答える。

先天性奇形児と重度小児麻痺がほとんどだという。

 

病名を聞かされてショックを受けた。
なぜなら、翔ちゃんの病気と同じだったからである。

重度小児麻痺は一生ここで人の手を借りて生きなければならない。
老化とともに残存機能は著しく衰え、施設で死を待つのみ。

スタッフの説明を聞いて、翔ちゃんを思い出し落胆した。
私は8年も翔ちゃんと関わってきたのに、翔ちゃんの病気について何も理解していなかった。
翔ちゃんの病気が治ると思っていた。
だから、発声練習や歩行練習を一緒にやってきた。

治らない病気。
老化により悪化する病気。

無知は怖いなって思った。
無知で翔ちゃんと関わっていた。
翔ちゃんにも自分と同じ未来があると信じていた。
涙がでそうになった。
あの弟みたいなかわいいかわいい翔ちゃんが、早く死ぬかもしれない。
無知だった自分が情けなく思った。

スタッフの説明を聞いてから、私は意識が見違えるほど変化したのを覚えている。
自分で自問自答しながら、気を紛らわせるために仕事に没頭していたと思う。

複雑な心境だった。

ゴロゴロ転がる50人を世話しながら翔ちゃんを想像する。

同じ障害者なんだな…

 

家に帰りたい気持ちは消すことはできなかった。

ただ、私が抜けたら残り5人のスタッフで50人の小児麻痺患者を見なければならない。

キツイ業務だからこそ、勝手なことはできないと思った。


1ヶ月半が過ぎた。

生まれて初めて親から離れ、仕事をしてきた。
最終日、我ながら驚くほど頑張ったと思った。
もう1人のボランティア男子高校生も、逃げずにやり抜いた。
もちろん私も。
長い期間、両親から離れた仕事。
ホームシックで何度もめげそうになったけれど、
強く強く堪えた。
私の原動力は翔ちゃんだったのかな。
施設の人が翔ちゃんと同じ病気だと知ってからは、ゴロゴロ50人がみんな可愛く思えてきた。

 

最終日の仕事が終わった後、施設長に呼ばれた。
「あなたは、なぜボランティアをしたの?」

 

私と男子高校生に質問する。

応接間で2人で出されたお茶を飲みながら話をした。

 

私はこう答えた。
自分探しにきました…

いろいろやってみたかったんです。
探してみたら、身近にありました。

幼稚園からずっと答えはあったのに、すっかり忘れていました。

思い出しました。

「将来、看護師になります…助産師にも興味があります…知りたい事ができたから…」

 

翔ちゃんの病気について何も知らなかった自分。
悔しかったのだ。
翔ちゃんの病気について、もっと知りたい。
それに、誰かに必要とされる喜び。
誰かに役に立つ喜び。
これは、もちろん自己満足だ。
人のためではない。
すべて自分のため。
ボランティアも他人ではなく、全部自分のため。

自分のためにやりたいこと。


「偉いわねぇ~優しいわね〜」
周囲からよく言われる言葉だった。
正直…なぜか嬉しくない。
ボランティア活動は、自分探しのために体験したかった。

自己満足のためだ。
逆に、ゴロゴロ50人から私はたくさんのことを教わっている。
話せずうめき声しかあげないけれど、
彼らから得ることは希少価値そのものであった。


1ヶ月半ぶりの我が家。

やっぱり、我が家はいいなぁと思った。

たくましくなって帰ったぞ。
帰宅してまず何をしたか……
あの誕生日カードをもう一度読んだのだ。
6歳の私の夢。
「せかいの かんごふさん」


翔ちゃんが昔の夢を導いてくれたんだ。

忘れていた夢を思い出させてくれた。
今まで気づかなかったよ。
6歳の女の子に秘めたけなげな願い。

ドキュメンタリー番組の前で大泣きして、幼いながら真剣に世界のことを考えたあの頃。
あの熱き情熱を忘れていた。
翔ちゃん、ありがとう、ありがとう。
君に会えてよかったよ。
最高の弟よ。

 

高校1年秋、進路変更する。

文系進学コースから理系進学コースへ。
私は、奨学金を得るために勉強に力を入れた。
看護の道へ進むために。

 

高校2年。

友人の氏家さんの非行を目の当たりにする。

中学3年の牧野さんの一件もある。

中学3年のアル中の父親をもつ渡辺さん。

小学校から高校まで出会った友人ら。

友人らの育つ環境に気になり出す。

母子医療に興味を広げていく。

 

助産婦地球儀」

助産師である方の著書を読む。

 

世界の助産師かぁ。

胸をおどらせた17歳。

 

助産師を目指すことを決意する。