いつも空は、曇りときどき晴れ

自分史、人生曇り空ばかりだけど、ときどき晴れがちょうどいい時もある

大学病院の役割、研修医を育てる場

看護師3年目になると、今まで以上に責任が重くのしかかるようになる。

まず、指導係として新人看護師を育てる責務。

そして、補佐として新人医師を支える義務だ。

さらに、3年目から夜勤のリーダーを務めなければならない。

 

呼吸器外科に新人医師が入局した。

朝の申し送りで、その新人医師がスタッフに挨拶をする。

一目みて、知っている人だった。

堀さんだ…

医学部生だった堀さんと関わりはなかったが、知り合いだった。

食いしん坊で有名な堀さん。

ぽってりしていて、温和で、医師には珍しく腰の低い人で、ムードメーカー的な存在だった。

 

ホントに、よく食べる人だった。

怒らないし、険しい顔もしないし、にこにこ先生だった。

食べ物の話になると、目を輝かせて盛り上がる先生。

でも、研修医1年目にしても、他の研修医に比べ仕事はできなくて、優柔不断で決断力に欠けていた。

 

ある日、堀先生がナースステーションで倒れ込んだ。

朝の申し送りの時だったから、スタッフ一同騒然とする。

ナースステーションの目の前にある重症治療室で入院することになった。

原因は過労だろうか…

スタック全員が心配した。

上司の医師らも心配した。

 

検査結果、食あたり。

 

「あはは、おさがわせして、ごめんなさい、ついついお腹がすいて、ナースステーションのテーブルの上にあったおにぎりを食べたんだよね、誰のか知らなかったけど、賞味期限3日すぎてるから大丈夫だろうと思って。」

 

堀先生は笑いながら頭をかく。

上司の医師らは険悪な顔をしてた。

看護師らは大笑いしてた。

私も大笑いしてた。

 

堀先生の当直にあたりたくないなぁ〜先が思いやられる…そう思った。

 

そんな嫌な予感は的中することになる。

 

夜勤リーダーデビュー。

私が初めて夜勤のリーダーになった日。

メンバーは、私と看護師2年目と看護師新人の3人だった。

看護師サイドが私を含め頼りないチームで、危機感を感じた。

不安になる。

さらに、当直があの堀先生だ。

研修医1年目の、食あたり先生。

今夜の病棟、何がなんでも平穏に経過してほしい!

どうか、急変や緊急入院がありませんように…

 

夜勤は準夜勤と深夜勤がある。

深夜勤は深夜0時〜9時までの勤務。

準夜勤は17時〜深夜1時までの勤務。

 

今夜は準夜勤だった。

実際は、15時に病棟へ来て42人の情報収集する。

17時に日勤の看護師から申し送りを受ける。

17時30分から病室をラウンドする。

42人の患者さんを看護師2人で手分けして受け持つ。

夜勤は、看護師1人20人の患者さんをみることになる。

リーダーは、ナースステーションに待機して、20台ぐらいある心電図モニタリング、金庫管理、事務作業、重症治療室にいる患者さん2〜4人を受け持つ。

さらに、他の看護師2人から時間ごとに報告を受ける。

これが一番といっていいくらい大事なリーダーの仕事だ。

他の看護師2人からの報告を聞いて、アセスメントしどう判断しどう対処するか…リーダーの資質が問われる。

なんでもないような情報を見逃し、経過観察とみなし放置していたら、急変し死亡することがあるからだ。

その判断を報告を受けたリーダーがしなければならない。

夜勤リーダーは、重い責任感を抱きながら、危機感を抱きながら、仕事をする。

 

準夜勤のリーダーになった私は、赤い紐を肩掛けする。

リーダーだと医療者に分かるように。

また、麻薬金庫の鍵を赤い紐につけていた。

 

消灯21時。

病棟の電気が消えた。

平穏だった。

他の看護師2人からの報告をしっかり受けて、細かい情報を時系列で把握し、ベースにある情報と照らし合わせ比較する。

あらゆる視点から得た情報を全部総動員して、的確な判断をする。

 

22時頃…この調子なら問題なく業務を終えられる。

そう思った。

 

ナースステーションの近くにあるエレベーターからストレッチャーの音がしてきた。

ん?

あれ?

何の連絡も受けてないのに…

緊急入院?

何の情報がないまま患者を受け入れるのか…

ナースステーション前にストレッチャーをとめた堀先生。

私はストレッチャーの上にいる患者さんを見た。

患者さんをぱっと見て、カルチの末期で呼吸器が必要だと判断した。

私は近くにいた新人に指示を出す。

「田中さん、至急呼吸器を医療機材室から借りてきて、走って行ってください。」

 

堀先生がにこにこして言う。

「参ったよ、緊急手術で上の先生手が離せなくてさぁ、俺だけしかいないんだよね、とりあえずセンターから病棟に移せって言われて…」

 

堀先生、余裕だな…

 

「堀先生、延命措置の同意書は?」

私は、ドクターカルテから延命措置の同意書を確認した。

本人や家族のサインが入っている。

つまり、延命措置を希望するということ。

私はまた指示を出す。

「山本さん!山本さん!今すぐに◯◯さんの緊急連絡先に電話して、延命措置を家族に再度確認して。」

 

「堀先生、個室に行きましょう。」

 

私の見落としや確認忘れはないだろうか…

 

◯◯さんは肺癌でステージ4の末期。

意識レベル3の2

見るからに重度の貧血と重度の脱水、栄養失調…体が虚脱していた。

さらに、浅表性呼吸、下顎呼吸、鼻翼呼吸あり。

チェーンストークス呼吸になったら、

呼吸停止まで時間がない状態だと判断。

残りの命、数日とみた。

 

個室に移動しながら観察する。

点滴棒にぶら下がる点滴内容を見る。

「堀先生、ラクテックは何本目いきましたか?」

 

「ん〜とね、センターで落としたから1本目かな。」

 

こんな虚脱しているのが分かるのに…補液アップだよ、堀先生。

センターに入ったら、じゃんじゃん点滴落とすべきなのに…

ストレッチャー移動を急ぐ。

移動しながらカルテの患者の血液データーと血液ガスデーターを確認、既往歴も確認する。

 

「堀先生、腎機能・心機能は問題ありません、ラクテックの滴下速度60/時 ですが、全開でいきましょうか?センターから排尿がずっとありません。」

 

「あぁ、そうだね、そうしてくれる?」

 

「堀先生、電解質補正、NaとKの指示お願いします、電解質データー低K、低Naです。」

 

「わかった、じゃあ、後で指示だすよ。」

 

堀先生、

余裕な態度だし…すごくすごく不安だ。

 

「堀先生、血液ガスデーター見ましたよね?」

「あぁ、見たよ。」

「人工呼吸器を準備しましょうか?」

「あぁ、一応、用意してもらえる?」

 

堀先生、人工呼吸器は絶対必要な状態ですよ…

延命措置希望の方ですよ…

一応は…ないですよ。

 

「堀先生、本人・家族は延命措置を希望してます、先ほど家族と連絡をとり確認済みです、人工呼吸器装着する必要があると思いますが…」

 

「あっ、そうなの?」

 

堀先生、大丈夫ですか…

「堀先生、人工呼吸器用意してます、今酸素4ℓ、全開にあげますか? 血液ガスのCO2問題なしです。」

 

「じゃあ、酸素全開にしてくれる?」 

 

「堀先生、はい!」

 

個室に着くまでに、こんなやりとりをする。

個室についたら挿管の準備にすぐに取りかかれるからだ。

時間との勝負だ。

 

挿管準備のためにベッドの高さや位置を決める。

ライトの準備をし、救急カートを出す。

田中さんが人工呼吸器を持ってきてくれた。

グッドタイミングだ。

 

あとは、堀先生の腕にかかっている。

正直、難しいだろうと思った。

体全体が虚脱していて、かつ、意識障害で舌根沈下が著しい…挿管はベテランレベルの医師が必要だ。

まだ、患者の状態は比較的落ち着いている。

だから…堀先生に任せてみよう。

そう判断する。

モニター類を装着した。

 

「あれ…あれ…おかしいなぁ、なかなか入らない、先がよく見えないや。」

 

堀先生、虚脱している人に挿管する経験はなかった。

研修医には難しい症例だと思った。

 

アラーム音がけたまましく鳴る。

心電図の波形からだ。

 アラーム音を聞いた先生が心電図を見た。

余裕だった堀先生の形相が変わる。

形相を変えながらも、喉頭鏡を挿入する。

入らない。

堀先生の表情がかたくなる。

何度も喉頭鏡を使い、カニューレを入れようとしても入らない。

堀先生、汗だくだくになる。

私が堀先生の汗を拭く。

ライトを再度的確に当てなおす。

 

30分は過ぎただろうか…

私はバイタルチェックをして、続行可能かどうか判断しようとした。

他科の医師を呼ぶべきかどうか…

ぎりぎりの判断だ…

できるだけ、研修医の堀先生にやらせたい。

 

心電図のアラーム音がさらに鳴る。

 

堀先生が焦って心電図を見る。

「やばいよ、やばいよ、急がなきゃ。」

 

アラーム音の中、堀先生は焦って喉頭鏡を入れる。

焦るあまり、上手く入らない。

ニコニコ先生の顔が真っ青になってきた。

 

このままだと、挿管は無理だ…

まずは、堀先生に落ち着いてもらわないと。

集中してもらわないと!

 

「堀先生!心電図はサイナスタキカルディアですよ、サイナスです!ラクテック2本目で先程全開にしました、脱水緩和されれば脈拍200は自然に改善されます、バルーン排尿50で排出あり。」

 

当たり前のことを、わざわざ伝えた。

 

堀先生は、うなずく。

挿管を試みる。

 

SAT 56%(正常90%以上)

アラーム音が鳴る。

全身チアノーゼ顕著。

「本日のHb 4.2   重度貧血ですのでSATは低くでるのでしょう、血液ガスのpO2はなんとか呼吸維持できる値、まだいけます、堀先生。」

 

また、当たり前のことを言った。

堀先生は、またうなずき、目つきを変えて集中する。

 

先生に安心して挿管に集中してもらうために…

目が患者から離せない先生に、代わりに患者の刻々と変化する患者の容態を報告する必要がある。

 

血圧測定不可のアラーム音が鳴った。

モニター上、血圧はゼロ。

私は水銀血圧測定を試みる。

正中静脈触知不可能。

橈骨静脈触知不可能。

四肢の抹消冷感あり。

 

堀先生がまた慌てる、焦る。

真っ青になる。

 

私は、患者の足の付け根を触れた。

触れる、触れる。

「堀先生!そけい動脈しっかり触れてます、血圧50は維持してます!意識レベル3の2 変わりません。」

 

血圧50以上保たれれば、脳血流量は維持できる。

 

私は、患者やモニターを刻々と観察して、その都度堀先生に報告する。

 

「心電図、APC単発/時  一発、サイナスタキカルディア150に下がりました。」

「排尿200、ラクテック3本目いきます。」

脱水が少し緩和されてきたことを間接的に報告する。

 

堀先生がかなりの集中力で挿管する。

私は、患者のアゴを支え、堀先生の介助をする。

真っ青だった堀先生の表情が一気に明るくなる。

「入った、入った。」

 

私は、慌てて聴診器を胸にあて、アンビューで肺を膨らまし、エア入りの音を聴取する。

 

「堀先生、エア入り確認しました、あとは念のためポータブルレントゲンをお願いします。」

 

ほっとした。

肩の力が抜けた。

ぎりぎりだった…堀先生には報告しなかったけど。

 

「実は、挿管したの3人目なんだよね、いや〜焦ったよ、入らないんだもん。」

 

「虚脱している人は咽頭喉頭部が狭くなってますからね…体液管理をしっかりしながら挿管するといいですよね、先生、Naは2A行きますか?Kは、手術を終えた医師の判断を伺いましょうか。」

 

「そうだね、よろしく頼むよ、いや〜ありがとう。」

 

堀先生が握手を求めた。

私は堀先生の手をとった。

堀先生、満面の笑み。

いつもの食いしん坊先生だ。

 

「あれ、君、思い出した!ボスの彼女だろ?」

「はい、覚えていましたか?

堀先生、今日の挿管はお見事でしたよ、こちらこそ、ありがとうございます。」

「いやいや〜、挿管4人目にして、俺やるよなぁ。」

照れる堀先生。

本当に、よくやりましたよ。

 

堀先生、少しだけ自信がついたようだ。

挿管の経験値が増えた。

ぎりぎりのところで、研修医に任せてしまったけれど、その判断をするのも看護師の役目だ。

あと5分たったら、他科の医師をコールするところだった。

看護師3年目以上は、新米の医師を支え補佐する役割がある。

研修医はいろいろな職種から支えられて成長していく。

 

低K血漿は、脱力をはじめとする症状がでるが、すぐに命に直結するものではない。

逆に、高K血漿の方が要注意で、心停止をおこす。

カリウムは心臓の拍動をとめる作用がある。

低K血漿だからといって、KCLをやみくもに投与するのは危険だ。

KCLは、ベテラン医師に任せて、血液データーを随時確認しながら、投与量をきめる。