いつも空は、曇りときどき晴れ

自分史、人生曇り空ばかりだけど、ときどき晴れがちょうどいい時もある

寡黙と内弁慶~恩師高橋の20年後のメッセージ

幼稚園入園して気づいたこと。

私が重度の寡黙で内弁慶である事実。

小学校に入ってからも、そのせいで人との関りが難しく孤立していた。

頼りにしていた幼馴染のまゆみちゃんとは、小学5年になるまで同じクラスになることはなかった。

非常に心細かったのを覚えている。

 

小学1年生では、若い女性の向山先生が担任だった。

向山先生は若き情熱を私にぶつけたのだろうか。

返事もできない私に向かって、とにかく何度も叱ったり、ため息をついたり、険悪な表情をして困っていた。

当時、私はただ、ただ、申し訳ない気持ちでいっぱいで、心の中で何度も「ごめんなさい」と言っていた。

 

何をやってもうまくいかないもどかしさ。

勉強も運動も苦手だった。

とくに、これといった特技はない上に、対人関係能力や新しい環境の適応力はゼロだった。

この時点で、生まれてはじめて世間から見られた自分がかなり評価が低いとさとる。

うつろな小学1年生を過ごした記憶しかない。

ただ、休み時間の間は幼稚園からやってきたお絵かきを黙々としていた。

空想や想像をめぐらして現実逃避していた。

空想や想像で思い描いた映像を絵にする。

それが唯一の現実逃避行動だった。

それが唯一の自分の世界だった。

 

小学2年に進級する。

クラス替えがあった。

同級生のメンバーが変わる。

担任の先生も変わると伝えられた。

男性の先生らしいという情報を聞き、胸騒ぎがした。

また、私の寡黙で男の先生を困らして迷惑をかけて、先生は私を強く怒るだろう。。

緊張した。

 

2年3組の教室に背が高くて体格のいい男性が入ってくる。

うぁ・・・でかい・・・こわい・・・

歳は27ぐらいだ。

でも、男性教師の顔を見て気持ちが一変したのを覚えてる。

この先生、すごい、すごいオーラがある。

先生は、引き寄せられる眩しさを放っていた。

 

「はじめまして、高橋です!

みんな、よろしくな!1年間、思いっきり遊ぼうな!」

 

大きな口を開けて突拍子もないことをいう。

本当に、先生ですか?

素直にそう思ったほどだ。

黒板に大きな文字で先生のフルネームを書く姿は豪快だった。

黒板全部をつかって名前を記す。

黒板の下に無造作にチョークをおとす。

 

「俺の名前、たかはし、でいいよ、気楽に呼べよな!」

 

唖然とした。

今度はジャングルに住んでいた大男が都会に来て私たちに勉強を教えるというのだ。

そんな印象だったのを強く覚えている。

 

「出席名簿か、やばいな~緊張するぜ、よめねーかもしれないけど、勘弁してくれ。」

 

緊張度がアップする。

私は返事すらできない生徒だ。

大男の男性教師が私を叱ったら、きっと私は学校へこれなくなるだろう。

心臓の鼓動が速くうつのが自分でも分かった。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 

「ん?あれ?これは、かんの・・・すみか・・・いるか?」

 

先生、読み仮名、ぜんぜん違うんですけど・・・

訂正もいえない・・・

あ、あ、あ、どうしよう。

おどおどする自分。

 

そしたら、同級生の渡辺くんが言った。

「先生、呼び名が違います、すげの じゅんか です。」

 

渡辺君は安達君の親友で、クラスのリーダー的存在。

 

「おおっ、なるほどなぁ~わりぃわりぃ、じゅんかって呼ぶんだなぁ~あぁ、いいね、いい名前つけてもらってんなぁ~」

 

それから、高橋先生は出席名簿に印をつけた。

返事をしていないのに、私の顔を見て印をつけた。

そのあと、次の人の名前を呼んだ。

 

拍子抜けした。

緊張感が一気に消え、安堵感に変わった。

高橋先生、なぜ私の返事を求めないのだろうか・・・

次の日も次の日も、高橋先生は私の名前を呼んで顔を見て、出席名簿に印をつけるだけだった。

 

「おっ!じゅんか、いるな、よし!」

そう言って出席名簿に印をつける。

 

以来、私は出席確認の時間、緊張しなくなった。

 

この大男の男性教師に興味をもつようになった。

はじめての経験だった。

 

高橋先生という教師と出会うことで、私の運命の歯車の段差が変化したといってもいいくらい、高橋先生の影響力は大きく大きく私を揺さぶった。

恩師高橋先生自身の認識・自覚はまったくない。

幼い私が先生を通して、進化しはじめたと強く認識していた。

その事実を20年後に高橋先生に伝えることになる。

 

高橋先生の授業は特殊だった。

一言でいうと、いいかげんな授業だった。

国語や算数の時間に、クラス全員でビデオ鑑賞をする。

ビデオ鑑賞の内容は毎回決まっていた。

アニメの『北斗の拳

高橋先生はケンシロウの大ファンで子供たちと一緒になって見ていた。

授業の時間では物足りず、給食の時間と昼休みの時間にも北斗の拳のアニメを上映させた。

他のクラスの生徒や教師にバレないように、男子生徒と高橋先生が結託して廊下側のカーテンを設置する。

 

「みんな、音量はあげられねーけど、静かに見ろよな。」

 

クラスの生徒は、学校でアニメがみられることが嬉しかっただけでなく、

他のクラスや教師にバレないようにヒソヒソする雰囲気にわくわくして、ドキドキして、盛り上がった。

2年3組の秘密!

そんなキーワードがある。

北斗の拳が2年3組の大ブームになり、

ケンシロウの物まねをする男子生徒が後をたたなかった。

ただ、女子の勉強できる集団は、先生を疑っていた。

学級委員のゆり子ちゃんは、不満たらたらだったのを覚えている。

「高橋先生、しっかり授業をしてくれないと困ります!」

ゆり子ちゃんの名台詞だった。

さすが、ゆり子ちゃん。

 

帰りの会では、その日の宿題と明日の持ち物を黒板に書く。

高橋先生からの宿題。

 

『宿題:思いっきり遊びこむ!』

 

『遊ぶ』ではなく、『遊びこめ!』と強く言った高橋先生。

違いは何だろうかと当時疑問に思った。

でも、高橋先生と関わるうちにその違いが肌でわかるようになる。

高橋先生は1年間、毎日同じ宿題をだす。

ドリルや問題集の宿題は一切出さなかった。

『遊びこめ!』

どんなことがあっても、必ず宿題はこれだった。

 

遊びこめって、何をすればいいの?

当初、戸惑ったのを覚えている。

宿題をしなきゃ、しなきゃって悩んで、とりあえず遊んだ記憶。

翌朝、高橋先生は宿題をやったかどうかの確認はしなかった。

 

「お前ら、昨日は思いっきり遊びこんだかぁ~?」

 

クラス全員に向かって笑いながら言う。

高橋先生のスタンスにクラス全員が驚いていたのを覚えている。

だんだん、クラス全員が高橋ファミリーになって、高橋色に染まるようになる。

 

遊ぶって、何を?

折り紙やお絵かきや、絵本を読むことじゃないの?

 

昼休みの時間、いつものように一人で机に向かって絵を描いていた。

そこに高橋先生が私を大声で呼ぶ。

「じゅんかぁ~せっかくの休み時間だぜ、一緒に外で遊ぼうぜ!」

 

満面の笑顔で高橋先生は私を誘う。

え・・・外は・・・

運動できないし、苦手だし・・

 

「みんなと体動かした方がぜってぃ楽しぜ!いこうぜ!」

 

高橋先生の対等な目線で私を見つめる姿に私は、なぜか心を許す気になれたのだ。

なんだろうか。

先生はいつも生徒と対等なんだ。

同じ目線でものごとを考えてくれる人だなぁと。

この先生なら、ついていけそうだと。

子供ながらにして自然とそう思えた。

 

高橋先生と一緒に校庭に出た。

校庭では、クラス全員でドッチボールをしていた。

ボール遊びはものすごく苦手だ・・いやだな・・・

恐る恐るドッチボールしているクラスメイトの中に入っていく。

高橋先生が大声をだす。

「おーっし! 全員そろったぞぉ~ドッチやろうぜ!」

 

高橋先生は率先してボールを猛スピードで投げて次々と男子をあてていく。

「男子ども、よわっちいな! 男なら勝負しようぜ!」

 

女子はキャーキャー言って逃げ回る。

私も先生の猛スピードのボールから逃げた。

背中を向けて逃げる。

 

パシッ!!

 

痛い!

 

私のお尻にボールをあてられた。

でも、手加減した感じで軽くあてられた。

高橋先生だった。

先生を見ると大笑いしていた。

「じゅんかぁ~ケツを見せたら当てられるぞぉ~逃げるときは後ろ向きでな!」

 

以来、ドッチボールでケツを敵に見せることはしなかった。

そうしたら、ボールをあてられることはなくなった。

 

休み時間は教室でお絵かきばかりしていた自分。

高橋先生のおかげで私は毎日校庭へ出るようになった。

ドッチボールが大っ嫌いだったはずなのに、自然とドッチボールに参加している自分がいる。

昼休み時間と放課後の時間、高橋先生は時間の許すかぎり、生徒とドッチボールをして遊んでくれた。

高橋先生がいたから、校庭に出ようと思うようになったんだ。

 

高橋先生はボールを1つから2つへ・・・さらに3つ出してきてドッチボールをする。

男子は大盛り上がりだった。

女子はスリル満点できゃーきゃー言いながらも楽しんでいた。

 

「俺にボールを当てたら大プレゼントをやろう!」

 

高橋先生の言葉がクラス全員のハートを突き動かす。

ハートが燃え上がる瞬間を感じたのを覚えている。

以来、クラスの男子が全員放課後、猛烈な特訓をするようになる。

クラスの女子も同じく、力にまかせない方法で高橋先生にボールを当てる方法はないかどうか考えて実験していた。

クラス全員、高橋先生を倒すことを目標にしてドッチボールを朝から放課後まで練習したのを覚えている。

朝練と昼休み練習と放課後練習。

自主的に練習をはじめる2年3組。

一体、何がおきているのだろうか・・・

私までドッチボールに参加している。

私の目標は、絶対誰にもボールを当てられないこと。

逃げ切ること。

 

いつの間にか、いつの間にか、大嫌いだったはずのドッチボールが好きになっていた。

ドッチボールが面白い・・・

ボール遊びがこんなにも面白いなんて知らなかった。

一人ではなくクラス全員でやる楽しさを。

 

高橋先生に宣戦布告をした男子らがドッチボールで先生を狙う。

高橋先生は体育大学出で運動神経がものすごくよかった。

誰も先生にボールをあてることはできなかった。

 

市のドッチボール大会、狙ってはいなかったけれど優勝してしまった2年3組。

県大会のドッチボール大会に出場した2年3組。

ベスト4入り。

クラスメイトはドッチボール大会でまさかいい成績をおさめるとは誰も思っていなかった。

ただ、みんなは、高橋先生にボールをあてることしか考えていなかったからだ。

 

みんなで体を動かして遊ぶことの楽しさを実感した。

ボールを当てられたときは痛いけど、悔しくて当てられないように頑張る自分がいた。

楽しい・・・

放課後から夜遅くまであっと間に時間が過ぎていく。

もっと、もっと、遊びたい。

これが遊びこむということだ。

体をつかって夢中になってのめりこむほど遊ぶのが、遊びこむという感覚だ。

バカなことをするのも。

時にはスリルを味わうのも。

遊びこむということだ。

 

 夏はプールに毎日入った2年3組。

高橋先生はいつもプールの空き状況を把握していたようで、

算数の授業の途中で突然叫ぶ。

 

「今、プールが誰もいないぜ!

いくか⁉︎  準備はいいかい?」

 

2限目の算数の授業をほったらかして、

クラス全員が一気に服を脱ぎ出す。

登校するときからクラス全員は服の下に水着を着ていたのだ。

暗黙の了解だ。

短時間のプールでも入れるように、皆んなが毎日水着を下に着ているのだ。

 

「わぁぁ〜おぉ〜いくぜぇ〜!!」

 

男子が先にプールにかけこむ。

ついで女子が必死で追いかける。

 

高橋先生は体育大出身で泳力はずば抜けていた。

でも、先生は生徒に一度も水泳の指導をしたことがなかった。

 

「思いっきりはしゃごうぜ〜楽しもうぜ〜!!」

 

高橋先生が何度も叫ぶんだ。

先生が生徒一人一人を担いで、プールに投げ込む。

バッシャーンという音とともに、

子供達の歓喜が空を響きわたるんだ。

 

「先生、先生、もう1回、もう1回、お願い!」

 

皆んなが先生におねだりする。

先生は疲れているはずなのに、何度も何度も子供達の要求にこたえるんだ。

息をきらしながら、40人の生徒を何度も何度も抱えてプールに投げ込むんだ。

 

「じゅんか、覚悟しろよ、思いっきり投げてやるからな〜」

 

高橋先生が私を高く高く担いだ。

ぐるぐる飛行機が回るように体を回転させる。

「い〜ち、に〜の、さん!」

私の体が宙に浮いた感覚を覚えている。

宙に浮き、さぶんと水面に入る感触…

水中から必死で酸素を求めていた。

ぷはっ!

空気が、空気が、最高だ!

心底、思ったこと。

 

体全身が高揚しているのが分かる。

気持ちがいい…楽しい、楽しい…

 

高橋先生、もう一度、私を投げこんで…

 

腹の底から楽しいと思えた。

 

 

2限目の授業が終わるチャイムが鳴ると、クラス全員一斉に体をふき、水着を着たまま服を着る。

また、入れるかもしれないからだ。

給食の後、昼休みの時間が終わり5限目の授業がはじまる。

5限目は道徳の授業だった。

道徳は、個人的に好きな授業だった。

でも、高橋先生が目をキラキラさせて誘うんだ、

 

「皆んな、静かにな…道徳の授業なんだけどよ、

今の時間、プール空いているみたいなんだ…

どうする?」

 

クラス全員が首をたてにふる。

(いきたい、いきたい…)

 

「おっし!静かに、忍び足でプールに突撃だ!」

 

クラス全員が誰も声をださず、黙々と急いで服を脱いだ。

数秒で水着になり、忍び足でプールに向かう2年3組高橋ファミリー。

 

楽しかった。

こんなスリルのあるプールは、面白いと思った。

わくわくする。

他のクラスには内緒だよ。

 

夏休みに、高橋先生がクラス全員を我が家へ招待してくれた。

お気に入りの高橋先生のジープをクラス全員が順番に乗った。

ジープの自慢話をしていた先生。

自然と共に生きることの大切さを語る高橋先生。

高橋先生は若いのに、スケールの大きい人だと子供ながらに感じとれた。

川遊びのコツを教えてくれた。

森と一緒に遊ぶコツを教えてくれた。

 

私は、生まれて初めて、教師に興味を持ち、関わりたいと思うようになった。

高橋先生は大好きだ!

そう、心から思えたんだ。

大人が子供のために真剣に向き合ってくれる人は、はじめてだ…

高橋先生、高橋先生…

 

小学2年の秋。

授業中に高橋先生の駄洒落がクラス全員を笑わせた。

私は、いつも、無表情でこわばった顔でいた生徒だったのに…いつの間にか、こわばった表情がやわらかくなっていた。

 

クラスメイトの誰かが、高橋先生のモノマネをした。

そのモノマネが高橋先生にあまりにもそっくりだったから、私は、反応せずにはいられなかった。

すごく似ていたんだ。

高橋先生にそっくりすぎる口調と素ぶりだったから…私は思わず、ぷっと吹き出したんだ。

おかしくて、おかしくて…

クラスメイトの安達くんが私の小さな変化に気づく。

 

「すげのさんが、わらった!」

 

クラス全員が私を見た。

私は構わず笑い転げた。

私が笑う姿を見たクラスメイトらが、歓喜の声をあげた。

「すげのさんが笑った!笑った!」

クラス中が大騒ぎになったのを覚えている。

高橋先生は、ニコニコしてた。

 

「やっぱり、俺のギャグが受けたんだろう!

じゅんかを笑わせるなんて、俺天才かも!」

 

クラス全員が大笑いした。

 

私は、この時、高橋先生に心を許していたんだと思う。

 

先生、先生、先生…

 

 

私は、学校で初めて笑うことができたよ。

 

学校で笑うことができた私は、返事ができるようになった。

 

高橋先生がこんな反応をしてくれたね。

 

「じゅんかぁ!すげぇ、可愛い声していたんだな!やべぇ〜緊張するぜぃ!」

 

高橋先生の反応が嬉しくて、嬉しくて…

返事だけでなく、話したいといつの間にか思うようになった。

 

先生!私の話を聞いてくれますか?

 

しゃべるのが苦手で、こわかった。

でも、先生はどんな私でも、喜んでくれるんだ。

高橋先生、高橋先生…

 

私は、高橋先生のおかげで、学校で話すことができるようになった。

 

立ち向かう勇気と知恵を教えてくれた高橋先生。

 

私の人生、歯車が変わった段差になった。

 

教師って、すごいなって思った。

 

人を変えられる仕事だから。

 

20年後、高橋先生と再会する。

私は高橋先生に丁重に感謝の意を示した。

 

夕方ニュース番組で、高橋先生が出演していた。

高橋先生は、筋萎縮性硬化症という難治性の病気と向き合っていた。

治らない病気。

だんだん進行がすすんで、呼吸筋抑制したら、命はもたない。

 

先生が最新の治療にのぞんでいた。

小学2年の私は、今は40歳だ。

 

テレビにうつる高橋先生は、ずいぶん歳をとっていた。

体育大出身で、運動がずば抜けてできた先生が、歩けないという。

 

先生、先生…

 

最新のロボット服を着て、重いロボット服を持ち上げようとする高橋先生…

 

あんなに、はつらつと、勢いよく、無敵だった先生が、今は弱々しく、弱々しく、ロボット服と向き合っているんだ。

 

高橋先生…

 

テレビの取材で、高橋先生は全国民に一言伝えるんだ。

 

高橋先生と同じ病気をもつ人々にとっては勇気のある言葉だろう。

 

「高橋さん、ロボット服装着、いかがですか?」

 

難病といわれ、同情する国民は多い。

私は、高橋先生の言葉を緊張しながら待つ。

 

高橋先生は満面の笑顔で言うんだ、

あっ、先生の表情はあの頃と何ら変わらない…

小学2年のときの高橋先生と、まったく変わらないんだ。

 

「いや〜すげぇ、めちゃくちゃ楽しい、楽しいよ!」

 

「感動してます。」

 

高橋先生の20年後の2年3組へのメッセージ。

意味は分からない人が多いかもしれない。

でも、2年3組のクラスメイトなら、深く理解できるんだ!!

 

高橋先生、高橋先生、私も人生、思いっきり遊びこみたいです。

 

高橋先生、変わらないなぁ〜

 

重い病気になっても、

教え子に伝えている。

 

お前ら、楽しめよ!って。

それが高橋先生の教えだから…

 

20年後、テレビにうつる高橋先生を見て涙が溢れ出した。

 

高橋先生が20年後の私達に、自分の生きざまをテレビで伝えているんだ。

 

忘れはしない。

 

高橋先生、高橋先生、寡黙から脱却の一歩を踏み出すきっかけを与えてくださった方。

 

ありがとう、ありがとう。

私の恩師、高橋先生、先生の生きざまを一生忘れません。

先生、どうか、どうか、末永く笑っていてくださいね。

影ながら応援しております、高橋先生!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てを失ったホームレスが求めるもの

もし、あなたが持っている全てを失ったら、何を求めますか?

お金?食べ物?服?毛布?住む家?などなど、いろいろ求めたくなります。

 

ホームレスは、きっとこのようなものを求めているだろうと先入観で決めてしまった私。

でも、ホームレス3人の看護をしてから、私の考えていたことが間違っていたことに気付きます。

 

ホームレスが求めるものが何なのか、熟知している方は、きっとご存知のはずだったでしょう。

それなのに未熟だった私は、当時気づくことができませんでした。

 

ホームレスの方が私に教えてくれました。

 

人は、何もかも失い、仕事ができる身体も失い、路上に転がるしかない窮地にあうと、本当の必要なものが見えてくると。

 

 

ホームレスの患者さんが緊急入院してきました。

ホームレスというだけで病棟は大騒ぎでした。

ホームレス、斎藤さん(偽名)がストレッチャーで大部屋に運ばれた。

病棟の入り口から大部屋まで、悪臭が充満していた。

斎藤さんはお金がない。

身寄りはいらっしゃらず、生活保護の申請もしていなかった。

慢性閉塞性動脈硬化症の病気で、真冬の寒空で足の血行障害を起こしていた。

斎藤さんは高齢者で皮と骨だけの身体で、かなり衰弱し栄養状態が悪かった。

意識レベル1ー2で何とか反応して話す。

医師サイドから、高齢者であり積極的な治療はしないと判断された。

明らかに死を待つだけのケアをするしかなかった。

 

斎藤さんに対し、看護サイドもなす術があまりないような様子だった。

死を待つだけのケア。

苦痛をできるだけ軽減すること、身体を清潔にすること。

看護計画が立てられ、さっそく斎藤さんの体を清拭することになった。

 

悪臭がひどく、大部屋なので他の患者さんから苦情がたえなかった。

斎藤さんは患者さんから嫌われていた。

医師サイドも見放す方向で必要最小限の医療をするのみ。

看護サイドも悪臭で困っていた様子だった。

 

うちの病棟は急性期で病棟は戦場のように忙しい。

だから、死を待つだけの医療行為を受けない斎藤さんは、優先順位として低い様子だった。

 

大部屋の患者さんが毎日のように斎藤さんに文句をいう。

確かに、悪臭がきつすぎる。

同じ部屋でずっと過ごすには辛いものがある。

 

後輩の看護師がいつものように斎藤さんの清拭をしていた。

清拭する様子をずっと見ているうちに、イライラしてきた。

なぜなら蒸しタオルで体を拭いているだけだからだ。

毎日清拭していたって、あの悪臭が消えるわけがない。

斎藤さんの皮膚には分厚い垢がウロコのように重なっている。

 

「斎藤さん!斎藤さん!聞こえますか?」

意識が低い斎藤さんに大声で話しかけた。

「体を洗ったのはいつ以来ですか?」

斎藤さんはうつろな目をして「はて、10年前じゃったか、いやもっと前かな」

 

どうりで垢の層が厚く、悪臭がひどいんだ。

何だかムラムラしてきた!

よし!絶対この分厚い垢を取り除いてみせる。

やると決めたら、とことんやらないと気が済まなかった私は、清拭技術について図書館で調べた。

斎藤さんは座ることも立つこともできない寝たきり。

閉塞性動脈硬化症で大血管に血栓がある。

だから絶対安静だ。

血栓が飛んだら命取りだ。

介護用浴室に運ぶのは危険だ。

だったら、ベッド上で洗うしかない。

 

私はホームレスの清拭をするのは初めてだった。

だから試行錯誤しながら毎日必ずベッド上洗浄を始めた。

タワシは痛いので歯ブラシを使い、粗めの洗浄タオルを使って、斎藤さんを泡泡だらけにした。

泡と歯ブラシで何度も何度も同じ箇所をこする。

気が遠くなる作業だった。

一回だけの洗浄では、全く綺麗にならない。

斎藤さんの洗浄は私1人で1時間もかかってしまう。

仕事に差し支えると思い、勤務時間以外に斎藤さんの所へ行き洗浄した。

毎日洗浄しないと分厚い垢はとれない。

一ヶ月間、毎日勤務時間外で斎藤さんの体を洗浄した。

 

努力の成果がでた。

「斎藤さん!すごくいいにおい!黒かった肌が白っぽくなったよ!」

大部屋の患者さんが見違えるほど綺麗になった斎藤さんを見て喜んでいた。

悪臭がない。

斎藤さんの顔がよく見えるようになった。

やった〜。

斎藤さんが初めてそこで微笑んだのだ。

「今、斎藤さんがにっこりした、反応が鋭くなったね!」

なぜか、大部屋患者さんと私と斎藤さんで大騒ぎして喜びあった。

 

斎藤さんには娘が1人いるという。

30年前から一度も会っていないという。

いろいろな事情があって娘と縁をきるような関係になったという。

斎藤さんの病室に見舞いに来てくれる人はいない。

誰もこない。

着替える服がないから病棟の手術着を着せる。

とにかく物がない。

歯ブラシは勝手に私がもってきてしまった。

自分で歯磨きができないくらい衰弱していたので、毎日口腔ケアをした。

口臭もだんだんなくなってきた。

「斎藤さん、いい顔してる、素敵ですよ」

斎藤さんはそれを聞いて、また微笑んだ。

斎藤さんは滅多に話さない。

まったく話さない。

でも、斎藤さんの顔の表情で私はコミュニケーションをとった。

 

「斎藤さん!何か足りないものはないですか?必要な物とか。」

 

斎藤さんは首をふる。

何もいらないと・・・

 

「食べたいものとかありますか?着替え用の寝巻とか」

 

それでも斎藤さんは首をふる。

不足している物がたくさんあるはずなのに、何で何もいらないのだろう。

 

斎藤さんは、いつも一人ぼっちだ。

大部屋の隅で1人、ただ1人横になっている。

必要最小限のケアと医療しか受けない。

斎藤さんの体を綺麗にして悪臭退治したのに、何だろう、何かが足りない。

 

他の看護師や医師も、「死を待つだけ」という方針に何もしようとしないのか?

斎藤さんには家族も友人も誰もいないのに。

そう、誰も。

誰も来ない。

 

私は斎藤さんの立場にたって考えてみました。

彼は何もないのに何もいらないという。

 

そう思ったときに、私はハッと思い出しました。

そうだ!

 

昔、子どもの頃に読んだ本。

「愛の反対は憎しみではなく無関心です」

マザーテレサ

 

そうだった。

マザーテレサは言っていた。

死の道に、道脇で死にそうな人間がゴロゴロたくさん転がっていた状況。

金持ちの人が食料や服、薬などを寄付していく。

金持ちの人は助けたと思ったことであろう。

でも、マザーテレサは言います。

彼らに本当に必要なものは物ではありません。

 

彼らに必要なのは、彼ら自身に関心を向けることです。

 

死の道を恐る恐る歩き、道端に転がっている人間を見て見ぬふりをして、素通りしていく。

これが、無関心です!

彼らは無関心が一番辛いと。

 

私は、斎藤さんの担当ではない日も、斎藤さんに会いに行った。

特に何かをするわけではないけれど、

ひたすら話しかけた。

もしかしたら、うるさくて迷惑かもしれない。

そう思いながらも斎藤さんの手を握って話しかけた。

斎藤さんのことをもっと知りたい。

斎藤さんがあまり話をしないから、

私が質問し斎藤さんがハイか、イイエで答える形をとった。

斎藤さんを一ヶ月垢退治して、それから3週間毎日斎藤さんの病室を訪れた。

ある日、斎藤さんがいつもと違う反応をするようになった。

斎藤さんの方から私の手をとってきた。

そして、斎藤さんはモゴモゴしながら必死で何かを言おうとしている。

沈黙が続く中、斎藤さんが言いたいことが言えるように沈黙を守った。

しばらくして、斎藤さんの目尻から涙がじわじわと出てきた。

私は、そんな斎藤さんを見て胸が温かくなりました。

斎藤さんのじわじわ出てきた涙が頬の下まで流れおちた。

何を言いたいのだろう。

どこか、痛みがあるのだろうか。

心配になってきました。

でも、斎藤さんは涙を流しながら微笑んだのだ。

「あ、あ、ありが・・・とう」

 

斎藤さんの言葉を聞いて、私は思わず目尻に涙をためた。

自己満足な看護でしかないとずっと思っていた。

もしかしたら迷惑なんじゃないかって。

しつこいくらい斎藤さんに話しかけてしまって。

自信がないくせに、ほっとけなくて、ほっとけなくて。

このまま孤独で死を迎えるのは避けたかった。

 

斎藤さんはしばらくずっと私の手を握る。

いつもより力強く握る。

握力がないのに、強く強く握ってくる。

斎藤さんの表情がゆるくなり穏やかになり、いい顔をしていた。

マザーテレサが言っていたことは、真実だった。

物がないことよりも、孤独というものがどれだけ苦しいことなのか。

誰かに自分に関心を持って欲しい。

それはまさに愛の一つの形なのだ。

斎藤さん、斎藤さん、今ね、すご〜くカッコイイ顔をしているよ。

綺麗な体で心を温めながら旅立ってほしい。

そう私は思いました。

 

斎藤さんのお礼の言葉を聞いてから、2日後に斎藤さんは息をひきとった。

エンゼルケア(死後処置)の時、斎藤さん綺麗だったよ。

斎藤さんに教わりました。

人は、物ではなく人が恋しいのだ。

自分を知ってほしいのだ。

皆んなの無関心がどれだけ心を痛めつけるのか。

これからの看護は、人を人として関心を寄せていこう。

そう決心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寡黙と内弁慶〜小学1年

幼稚園を卒園して、安全基地である家や近所で過ごすことになり、とてもほっとしたのを覚えてる。

近所の子供らやまゆみちゃん、兄と一緒に遊ぶのが一番楽しかった。

でも、そんな安心する生活はすぐに終わり、春に小学校に入学することになる。

 

小学校の建物を見ただけで足がすくんでいた。

心臓がばくばくしていて、恐怖心の塊だった。

まゆみちゃんは1年1組で、私は1年3組だった。

終わったと思った。

唯一しゃべれる相手がクラスにいないのだ。

 

教室には40人のクラスメイトがいた。

担任の先生は、若い女性の向山先生だった。

優しそうな雰囲気の先生で少し安心した。

 

でも、若くて新人先生のせいか、必死になる傾向があった。

その必死さが逆に私を追い込むようになる。

 

毎朝、40人の名前を先生が呼び、返事を確認してから出席簿に記入する。

この時間が一番嫌いだった。

なぜなら返事をしなければならなかったから。

大勢の前で1人返事することが、当時の私にとって高い高いハードルを飛び越えるぐらい難しかったからだ。

 

自分の名前がもうすぐ呼ばれる…

どうしよう、どうしよう…

声がでますように、声が出ますように…

 

「スゲノジュンカさん…」

 

「………………」

 

うるさかった教室が一気に静まり返った。

クラスメイトらが不思議に思ったのか私に注目する。

皆んなに見られてる。

自分の顔面が赤面するのが分かった。

返事を、返事を、しなければ。

 

担任の先生は私の名前を何回も呼ぶんだ。

そのたびにクラスメイトから異様な目で私を見る。

 

緊張しすぎて、恐怖心が強くて、恥ずかしくて、声がまったく出ない!!

 

涙目になって赤面する。

 

担任の先生が言った。

「スゲノさん、返事ぐらいできるようにしましょうね、簡単なことですよ。」

 

簡単なことですよ……

 

当時の私にとっては、簡単なことではなかった。

学校という大きな建物に、教室には見知らぬ子供らが大勢いて…

 

簡単なことではないんです、先生。

 

 

昼休みは1人で過ごした。

女子は塊になって移動したり、塊になっておしゃべりしたり、塊になって群がる。

教室が危険区域に思えた。

はやく安全基地に行きたい。

机の上でぽつんと一人ぼっちで過ごした。

 

この頃、私は逃げ道を探していた。

この危険区域の場所から逃げられる方法を。

そう、私の空想や想像はこの時から始まった。

空想や想像の世界にいることで、現実逃避ができる。

机の上で一人ぼっちで空想したり、想像したり、我を忘れて非現実的世界に浸っていた。

危険区域なんて完全に忘れてしまうほどだ。

幸い想像力はある。

安全基地での出来事を思い出して、1人でニンマリする。

こうして、声が出ないもどかしさを想像力で紛らわせていたのだ。

 

 

友達は、できなかった。

 

 

しゃべらない人や自己主張できない人やつまらない人は、誰にも存在すら気づいてもらえない。

 

学校に入って気づいたこと。

私は、寡黙で内弁慶だ。

どうしよう…

 

 

鮮明に覚えていること。

図工の時間。

私は忘れ物をしてしまった。

授業で使う折り紙だ。

 

この世の終わりになる感覚を覚えている。

 

忘れ物をした人は、大概友人や隣の人や班の人に物を借りる。

 

一大事だった。

 

私は、図工の授業で作業に取りかかれず、心臓をばくばくさせながら横をチラチラと見た。

私の隣の席には勉強ができる安達くんがいた。

 

(安達くん、折り紙をかしてくれる?)

 

心で思っていても、絶対他者には伝わらないと気づく。

 

1限目の授業が終わり、2限目になる。

2限目も図工だ。

 

安達くんがチラチラと私を見るようになる。

どうやら安達くんは私の心境を察してくれたようただ。

安達くんは、勉強ができる上に気立てが優しく鋭い子だった。

 

「スゲノさん、僕の折り紙つかいなよ。」

 

安達くんの言葉にどれだけ私は救われたことだろうか。

安達くんのことは今でも忘れられないほど、私にとっては唯一心許すクラスメイトだったかもしれない。

安達くんが無理やり私に折り紙を渡す。

私はペコっとおじぎをした。

 

でも、そんなクラスメイト同士のやりとりを不満に思った人がいる。

向山先生だ。

 

「スゲノさん、人から物を借りるときにはどうするんですか?……自分の口から安達くんにお願いしなければいけません……自分で言うのです!」

 

安達くんの顔が見つかってしまったという表情に変わる。

 

クラスメイトの皆んなが、また私に注目する。

皆んなは作業を止め、沈黙の中で私を見る。

 

あがり症の自分。

 

赤面し涙がにじむ。

 

「………あ、あ……」

 

私の小さな発音が出た。

発音を出しても言葉にならない。 

教室中が静まり返る。

羞恥心と恐怖心でいっぱいだった。

向山先生は、私のためを思い自分で言う大切さを必死に言っていた。

なかなか言葉にならない私に対し、向山先生は粘り強く待つ姿勢だった。

待てば待つほど、クラスメイト全員に注目されひそひそ話が聞こえてくる。

ますます緊張が増して、言葉にすることができなかった。

声が出ない……

 

「スゲノさん、前に来なさい!」

 

向山先生が待ちくたびれた様子で怒った口調で言う。

私は足をガクガクさせながら教壇の前まで歩いた。

教壇の前で向山先生が私を叱る。

クラス全員がそれを見ていた。

 

「スゲノさん、人に物を借りるときは、ちゃんと言わなきゃ…スゲノさんが安達くんに言わなければ、物は手に入りません、スゲノさんが言わなきゃ意味がないんですよ。」

 

クラスメイトが作業を止め私を注目する。

 

(だって、だって、声が出ないんです…先生)

 

私は席に戻った。

向山先生に言われたからには、自分で言わなきゃ。

安達くんの様子を伺いながら、いつ言おうか、いつ言おうか……そればかり考えて必死だったのを覚えている。

 

安達くんは、私を気にしつつ目配せをする。

貸してやるよって。

がんばれって。

声を出せよって。

安達くんは気長に私を待っていてくれたけど、私はとうとう言葉にすることができなかった。

チャイムの音が鳴った。

音を聞いて内心ほっとした。

 

図工の時間が終わった。

また、私は向山先生から呼ばれた。

 

「スゲノさんは、どうしても話せないのですか?

話さなきゃ、誰にも伝わらないし、誰もスゲノさんのことを理解しようとする人はできませんよ。」

 

先生、私は幼稚園の頃から、ずっとそう感じていました。

声をださなきゃ、相手には伝わらないと。

でも、学校ではどうしても声が出ないんです。

先生、ごめんなさい。

先生、ごめんなさい。

 

いつからか私はクラスメイトや担任に申し訳ない気持ちが膨らみ、自分の至らなさを感じとるようになった。

 

 

私は、一人ぼっちの小学生活を送ると思っていた。

まゆみちゃんは、おとなしめの子で真面目な子だったけれど、私より強く出ることができた。

まゆみちゃんの負けず嫌いな性格がプラスになっていたと思う。

男子に口答えをするぐらい強かった。

まゆみちゃんには、友達が4人くらいできていた。

私は、まだ友達はできていない。

小学1年は一人ぼっちだったような気がする。

 

 

でも、私は近所の近くに住む藤原くんに目をつけられるようになる。

藤原くんは同じクラスメイトで家が近い。

藤原くんはガキ大将だった。

子分を何人か従えていた。

 

「スゲノ、お前は今日からオレの子分だ!」

 

藤原くんの言いなりになるようになった。

藤原くんはサッカーが好きでいつもサッカーボウルを持っていた。

兄が私を外へ連れ出していたけど、今度は藤原くんが私を外へ連れ出していくようになる。

 

ベースボールのルールやサッカーのルールを教わった。

藤原くん大将に引率する子分ら。

威張り藤原、気弱ゆうじ、警察官の井森、警察官の藤山、靴職人の私、さき、美容院りょうこ。

皆んなでサッカーをしたりベースボールをしたり、ドッチボールをしたり。

ザリガニ釣りや凧揚げ、探検。

遠方を皆んなで自転車で走り回った。

兄から離れて、同級生と遊ぶ機会が増えた。

それでも、近所の子らと兄と遊ぶ方が断然楽しかった。

話せたからだ。

藤原くん集団では、緊張して話せなかった。

 

この頃から自分の安全基地は家や近所の子ら、まゆみちゃんだと思うようになった。

小学校は嫌いで嫌いで仕方がなかった。  

寡黙と内弁慶は、私のコンプレックスになっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寡黙と内弁慶〜幼稚園

幼稚園に入園するまでまったく気づかなかった。

私が極度の内弁慶で寡黙だということを。

 

私には5つ年上の兄がいる。

兄は活発で運動ができる。

遊びの工夫をして、近所中の子供ら数十人を統率する。

兄のおかげで、私は家から外へ飛び出していけた。

集団遊びがすごく楽しかった。

兄が率いる集団は、とにかく面白いし魅力的だった。

兄の真似をして、男の子になりたいと切に思っていた。

 

それが、幼稚園入園してから私は自分の大問題に気づく。

幼稚園では、なぜか声がまったく出ない。

幼稚園という場所は、怖いところだと思った。

なぜなら、見知らぬ子供らがたくさんいて、大騒ぎしていたから。

見知らぬ人…

 

おとなしそうな女の子には、少し安心して一緒にいれた。

でも、おとなしそうな女の子ですら、全然しゃべらない私をつまらないと思ったのか私を避けるようになる。

活発で明るい子は、遊びの中心にいて、玩具や遊具を占領する。

皆んなの邪魔にならないように教室の隅っこにいた記憶が残る。

3年間、私は一度も玩具や遊具で遊べなかったほど、内弁慶で寡黙で消極的だった。

木製のおままごと道具を触れたい強い思いが記憶に残っている。

指をくわえて羨ましそうに眺めているだけの子供だった。

唯一、遊び道具だったのはクレヨンと落書き帳だった。

毎日毎日、クレヨンで絵を黙々と描いていた。

でも、落書き帳ですら真っ白な用紙がなくなる。

職員室に100円を持っていき、落書き帳を買いたいと言えば落書き帳がもらえる。

それなのに私は親に100円が欲しいと言えなかった。

また、職員室という怖い場所に行く勇気がまったくなくて、最初から諦めていたのを覚えてる。

3年間で1冊の落書き帳で小さく小さく絵を描いてしのいだ。

隙間を見つけ小さく描き、隙間を探しに探して見つけ小さく描き……

幼稚園の時間がすごくつまらなくて嫌いだった。

 

鮮明に覚えていることがある。

ある時間。

先生がこう言った。

 

「今から友達の絵を描きます、2人組になってください。」

 

私の背筋が凍ったのを覚えてる。

おとなしそうな女の子……探す。

私と似た感じの子がコスモス組にいる。

のぶ子ちゃんだ。

私は慌ててのぶ子ちゃんに近づき、手を差し出した。

声が出ない、出ない。

(わたしと、くんでくれる?)

 

のぶ子ちゃんは、私をマジマジと見た。

でも、そっぽを向いて別の人のところへ行ってしまったんだ。

 

女子人数は奇数だった。

 

2人組になって楽しげな女子ら。

私は、1人になってしまった。

ペアが組めたらしゃがむ指示だったから、教室で私1人つっ立っていなきゃいけなくなった。

 

恥ずかしくて赤面して涙がほろほろ出たのを覚えている。

はやく、はやく、家に帰りたい!

近所の皆んなと遊びたい!

帰りたい…

 

私は余った男子とペアを組むことになった。

男女ペアになり、コスモス組の皆んなにひやかされた。

恥ずかしかった。

涙を流しながら相手の男子の似顔絵を描いた。

 

 

幼稚園では絶対トイレにはいけない。

我慢をひたすらしていた。

帰宅したらトイレにいく。

幼稚園のトイレは男女共同で、女の子がトイレでしている最中に、男子数人が上から覗くのだ。

活発な女子らは男子をけちらす。

それができない私は、ひたすらトイレにいくのを我慢するしかなかった。

トイレが使えなくて、すごく不便だったのを覚えてる。

 

 

唯一、幼稚園で好きな時間がある。

昼休み時間だった。

昼休み時間は、バラ組のまゆみちゃんに会いに行ける。

まゆみちゃんを見ると、すごくほっとした。

まゆみちゃんがいると、声が出るのだ。

まゆみちゃんがいると安心する。

2人でハンカチ折をして遊んでいた。

 

 

どうやら、幼稚園は向いていない。

外の遊具でコスモス組の皆んなが体をつかって遊ぶ。

私は、集団に入っていけない。

怖かった。

女子らの集団が怖いと感じたのだ。

悪口を言われているのを知っていた。

だから、なおさら集団に入っていけなかった。

 

男子らは、兄が率いる近所子供らと違う感じがした。

ひやかしたり、いたずらしたり、獲物をしとめたいかのような勢いで…怖かった。

 

兄ちゃんは、年上だから…

幼稚園の男子らは野蛮だなぁ…

 

園庭でも隅っこで1人ぽつんとしていた。

はやく幼稚園が終わって欲しいと切に願ったのを覚えてる。

 

幼稚園を卒園して、どんなに私が喜んだことだろう。

私は、まゆみちゃん以外、友達はできなくて3年間を過ごした。

話せなければ、声を出さなければ、

誰も相手にしてくれないのだ。

誰も誰も、私の存在に気づいてくれなかったという痛みだけを知った幼稚園生活だった。

 

どうして、声が出なくなるんだろう。

家や近所では平気なのに……

一流看護師に宣戦布告

自分がためされている事を知らずに、

一生分の悔しさを糧にして、泥沼にはまっても、

這い上がって見せた記録。

 

私の新人1年目看護師の壮絶な生活。

この1年間は、看護師として一番辛く忘れられない思い出となり、生きる糧になった。

大げさかもしれないけれど、当時の私はそれだけ真剣だった。

 

第一希望の心臓血管外科病棟に配属され、

私は緊張感とともに胸を躍らせた。

ようやく看護師として患者さんと関われる、そんな思いで。

新人看護師が10人いた。

みんなの前に長身の山崎さんが現れた。

美しい。。

美人だ、背も高くすらっとしている。

新人看護師に向けてにっこり微笑んでくれた。

わぁ~素敵な方だ!

これが私の第一印象。

それが後になって山崎さんが変貌するのだ。

 

数週間、新人は研修を受けてからプリセプターと一緒に担当患者をみる。

プリセプターとは看護師3年目以上の人が新人(プリセプティー)を1年フォローする人。

新人はプリセプターと一緒に山崎さんに看護の報告をしてから患者さんのところへいく。

新人のみんながスムーズに病室へ行く。

よし!最後に私の番だ。

私はプリセプターに見守られながら山崎さんに看護報告をする。

私の心の中では嬉しい気持ちだった。

 

しかし、思いもよらないことが起きる。

 

さっきまで笑顔で優しい顔をしていた山崎さんが怒っているのだ。

私を怖い目つきで睨む。

「はぁ~」

山崎さんがものすごい嫌な表情でため息をつく。

へっ?

何が起こったのか。

「スゲノ!お前はやる気あるのかぁ~!」

あまりにもビックリして、椅子から立ち上がり大きな声で返事をした。

「田村氏の今日のレントゲン検査、何のためにするの?」

「はい、CABG術後3日目なので、胸水や肺水腫、CTRを確認して心不全の回復状態を確認するためです」

「スゲノ!お前は田村氏の昨日のレントゲンを見たか!」

へっ?

レントゲン結果は医師が診断するのでは・・・

「いえ、みてません!」

山崎さんの表情がさらに険しくなり、美しい顔が鬼のようになった。

 

「スゲノ!バカか? 心不全におけるレントゲンは日ごとに変化する、比較しないでどうする!」

 

私はすぐに立ち上がり、田村氏のドクターカルテを読む。

ドクターカルテには医師がレントゲンを診断した結果が書いてある。

その結果を読んで山崎さんに報告した。

 

「スゲノ!!お前は医師の記録で判断するのか!」

 

えっ、では、どうすれば。

 

「自分の目でレントゲン写真を見ろ、自分で診断して判断していかなきゃ、お前は患者さんを看る資格はない!」

 

レントゲンの勉強は学生の時にした。

でも、実際にレントゲン写真を前にして判断したことがない。

 

「山崎さん、レントゲンの見方を教えていただけませか?」

 

「お前に教えない、自分で学べ!今日はスゲノは患者さんのところへは行くな」

 

お前には、患者さんをみる資格がない!

 

山崎さんの言葉が心につきささる。

厳しい人だけど、山崎さんが言うことは正しい。

私は昔から努力と根気だけで勉強をしてきた。

勉強の才能なんてない。

勉強をする能力が人より劣っていると自覚していた。

だから、だからこそ人より3倍の努力をして人並みになる必要があった。

看護師国家試験は努力でほぼ満点をとった。

血と汗のたまものだ。

仕事でもやはり努力し続けなければ、人並みになれない。

そう思った。

 

「山崎さん、指導ありがとうございます!

必ずレントゲン写真をよめるようにします」

 

山崎さんは私の顔をじっとみる。

「胸部と腹部のレントゲンだぞ、明日までにレントゲンについてレポートしてこい。」

「はい、明日までにやります」

「レポートはワープロは不可、手書きだ!」

「はい、手書きで書きます。」

 

山崎さんの話が終わって、ほっとした。

ところが、また山崎さんからの課題がとぶ。

ある患者さんがけいれん発作を起こしたとの報告が入る。

そばにいた私に山崎さんが言う。

「スゲノ、けいれんとは何だ?」

私は国家試験に出たけいれんの定義を答えた。

それから山崎さんはどんどん詳しく質問をしてくる。

けいれんの分類や特徴、治療法、脳波のことまで。

大脳皮質の神経細胞の興奮・・・詳しい病態は知らない。

 

「スゲノ、そんな知識じゃ、けいれん発作の患者さんをみせるわけにはいかない」

 

山崎さんは、看護レベルの知識だけでは満足しない。

山崎さんは、医師が勉強する分野まで学んでいる人だった。

私もそこまで学ばなければ、患者さんを看れないのですね・・・

 

「スゲノ、お前はやることがたくさんあるぞ、レントゲンとけいれんについて手書きでレポートしてこい、明日までだ、必ず明日までだ」

 

「はい、必ずやってきます」

 

私の新人ナースの初日は、こんな形で始まった。

まさかこの手書き課題レポートを毎日提出することになるなんて、

その時は予想もしていなかった。

 

私以外の新人ナースは笑顔で元気に仕事を終えて、19時ごろ帰ろうとしていた。

みんな、優秀なんだな。

帰るのが早い。

私はまた更に努力しないといけないようだ。

私はナースステーションに一人居残った。

レントゲン写真をたくさんみる必要があったからだ。

教科書に書かれていることと、レントゲン写真比較したり、ドクターカルテを見て参考にしたりする。

でも、正直よくわからなかった。

どうしよう、明日までレポート提出しなきゃいけないのに。

図書館に行ってけいれんについて調べたいのに。

困っていたところに当直医師がナースステーションに来た。

ちょうど当直医師もレントゲン写真を見ようとしていた。

チャンス!

「○○先生、お忙しいところ申し訳ありません、レントゲン写真の読み方を教えていただけないでしょうか?」

 

運がよかった。

○○先生は快く私にレントゲン写真の見方を教えてくれた。

CTRの計り方もちゃんとできるようになった。

○○先生は教えるのが好きなようで、どんどん詳しく難しい内容まで私に教えてきた。

助かった~救世主だ。

先生がべらべらしゃべっている途中、申し訳がなかったけれど、すぐに帰る必要があると伝え後にした。

急がなきゃ!!

図書館へ行き、けいれんの文献をコピーしまくった。

図書館が閉まる前にやらなければならなかった。

帰宅してすぐにレポートを書き始めた。

レントゲンとけいれん。

それぞれ30枚のレポートになった。

手書きだから手にタコができた。

なぜ、山崎さんは手書きにこだわるのだろう。

ふと、疑問に思った。

 

山崎さんにレポートを提出すると、山崎さんは隅々までチェックする。

徹夜してレポートを書いてきた。

これで合格もらえたら患者さんのところへ行けるだろう。

安易な考えだった。

山崎さんは険しい顔をして私のレポートを床に落とした。

バサバサと…

 

「レントゲンに関してはいいけど、けいれんについては最悪ね、やり直し、明日まで」

 

山崎さんの冷たい視線が痛かった。

どこが、どこが、いけないのか教えてください、そう言いたかった。

でも、山崎さんは最初に言っていた。

教えないって、自分で学べと。

 

頭がふらふらする中でまた今日も徹夜しなければならないと覚悟した。

けいれんは調べれば調べるほど難しい。

医学の脳神経内科から発行される文献を読んだけれど、私には理解不能だった。

もう、専門家に聞くしかない。

神経内科の医師かぁ、知り合いがいない。

恥を捨てて行くしかない。

私は勤務後、脳神経内科の病棟へ行った。

ヒマそうな医師を探し、恐る恐るお願いをした。

外科の医師とは違い内科の医師はゆとりがあるのか、気質がおだやかな人が多い。

神経内科の先生が同情の視線で私にけいれんについて分かりやすく教えてくれた。

本当に、感謝だ。

文献なんかより全然わかる。

 

翌日、山崎さんにけいれんのレポートを提出した。

「ふん!」

何も言わなかった。

つまり合格ってことだ。

山崎さんはけっして私を褒めない。

わかってる、わかってる。

 

「山崎さん、今日は何のレポート書きましょうか?」

 

山崎さんはまた私に追い打ちをかけるように質問をしてくる。

質問、質問、質問だらけ。

まともに答えられればレポートを書く必要がない。

でも、山崎さんもしぶとくて、絶対レポートを書かせるようしむける。

毎日、毎日、レポートを書く日々。

呼吸器の原理と仕組みに関するレポートは、医療器具管理者の力を借りて教えてもらった。

シャントのある透析患者を学ぶために透析室へいき、透析の方に透析の仕組みについて教えていただいた。

とにかく、病棟の看護師は誰も教えてくれないので、自分で現場に足を運び勉強するしかなかった。

 

働いてから3か月。

毎日手書きでレポートを書いて気づいた。

難しい医学専門用語や英語のスペルなど、書くことで覚えるのだ。

漢字で一字一句間違わずに書けるようになる。

山崎さんは看護記録にもこだわっていたし。

漢字を使わない用語を書くナースに指摘していた。

簡潔明瞭に、医師が知りたい情報を的確に記録する。

私の看護記録を山崎さんは必ずチェックし、毎日20回以上書き直された。

毎日チェックされ、やり直し。

ずっと、ずっとだ。

日ごとに看護記録の質があがってきているのが自分でもわかった。

 

勤務の続く日はまともに寝れなかった。

手書きレポートのおかげで。

休日は12時間は眠った。

寝だめした。

同期の新人は遊びに行くという。

私はそんな体力は残っていなかった。

みんなが余裕な様子だったのがうらやましかった。

 

 

山崎さんは鬼のように厳しい。

でも、山崎さんは優秀な看護師だ。

言っていることも、指摘することも、正しい。

どんなに無理難題な課題をおしつけられても、こたえてきた。

たえられた。

でも、ある事をきっかけに私は初めて山崎さんに対し不信感を持ってしまう。

 

原則的には患者さんや家族からの贈り物は受け取らない決まりだ。

お金は絶対受け取らない。

でも、お菓子ぐらいなら婦長公認で受け取っている状況であった。

私は家族からお菓子を受け取ってしまった。

何度断ってもお菓子を差し出してきたので、とりあえず受け取り、上司に相談しようと思った。

お菓子をナースステーションに持ってきた私を見た山崎さんが形相を変えて怒鳴った。 

 

「病棟は患者さんからの贈り物は受け取らない決まりです!スゲノ、何を考えているんだ!」

 

私はすぐにお菓子を患者さんのところへ持っていき、何度も何度も謝罪し丁重に断りお返しした。

原則だもんな、私も断る勇気がなくて情けない。

 

ところが、同期の他の新人が同じように患者さんからお菓子を受け取ってきた。

ナースステーションでお菓子をみせて看護師が集まりみんなで喜んでいる。

あの山崎さんでさえも、笑顔でその新人ナースの肩に手をおき楽しそうに話しかけている。

何で?

注意しないのですか?

 

それから、今になって気づいてしまった。

働いてから半年、毎日レポート三昧の私に厳しいことを言い、資格がないという。

他の新人ナースはレポートを書いたことがないという。

特に山崎さんから質問もされないという。

分からないところがあったら、山崎さんが優しく教えてくれるという。

他の新人ナースには笑顔を見せるのに、私には一度も笑顔を見せたことがない。

私は、どんなに大変な課題でも、どんなに大変な仕事でも、やりぬいてきた。

専門家の医師を何度も訪ね、毎日図書館に行き、文献をたくさんコピーして読み、手指が痛ましいほどボロボロになるまで手書きで何百枚以上のレポートを書いた。

そんなのは大したことではない。

大変だけど自分のためだったから辛くはなかった。

でも、同期と同等の扱いをされず、仲間外れにされていたことにショックを受けたのだ。

同期は私が毎日居残りをしても、何も声をかけず帰ってしまう。

プリセプターは心配そうな表情をしていたけど何も言わない。

尊敬する松木平さんも微笑むだけで何も言わない。

働いてから半年、状況をよく理解した私は初めて心の底から辛いと思った。

疎外感。

病棟では孤独だ。

辛い、辛い……

それでもようしゃなく、山崎さんは私を追い詰める、とことん追い詰める。

どんどん私に質問して、課題をたくさん出す。

 

それでも大丈夫。

こんなのは慣れているから。

他の新人ナースが今を楽していたら、後々苦労する。

 

私は山崎さんに心の中で宣戦布告をした!

 

山崎さんは、かなり優秀な看護師。

だからこそ負けてられない。

いつか、山崎さんを超える看護師になるんだ!

 

強い意志をもってがんばったけれど、山崎さんの言葉にとどめを刺されることになる。

夜勤で山崎さんと一緒に働いていたときだ。

私は看護記録を集中して書いていた。

深夜2時頃。

20分ばかり休憩できることになっている。

山崎さんと3年目のナースが心電図モニターのとなりで休憩をとっていた。

私はどうも山崎さんと一緒に休憩をとるのが気まずくて、看護記録をしていた。

2人は楽しそうに会話をする。

そういえば私はまともに他の看護師と会話したことがないなぁ。

みじめな気持で必死に記録を書く。

その時だった。

山崎さんが立ち上がって私に向かって罵声をあげた。

かなりの大声で。

私は突然の罵声にとっさに立ち上がった。

 

「スゲノ!!!お前は、患者を殺す気か!!お前は看護師失格だ!」

 

その言葉に私は胸がえぐられたような気持になった。

そうです。

私は看護記録を書くことに夢中になっていたのです。

そうです。

18台ある心電図波形をちゃんとちゃんと読み取り、異常の早期発見を怠っていたのです。

狭心症の方が心筋梗塞になるサインや致死的不整脈の出現やアレストや。

先輩2人は休憩して会話をしていても、彼女らは常時心電図波形を確認していたのだ。

どんなに忙しくても、どんな状況でも、絶対心電図波形を注視しなければならないのに。

心電図波形の変化にすぐに気づき、すぐに対処すれば助かるもの。

それを怠っていた。

山崎さんとの関わりがきまずいからって。

 

「スゲノ、明日までに心電図波形の診断と薬、対処についてレポートしろ!」

 

小さな声で返事をしてしまった。

 

朝がきて夜勤の仕事が終わり、そのままホルター心電図室へ向かった。

そこには24時間心電図波形を記録したものが山ほどある。

その記録をたくさん読んで、教科書と照らし合わせて勉強した。

眠くて眠くて仕方がなかった。

でも、やるしかなかった。

明日までに・・・

心電図も勉強すればするほど深みにはまり、難解になる。

心臓外科の医師に質問しよう。

私の体はかなりくたくただった。

体が疲れているというよりは、精神的にまいっていた。

どうも頭から離れない。

患者を殺す気かって言われて、何度もその言葉が頭の中でリピートする。

怖い、怖い、そう思った。

だからこそ心電図を絶対マスターする必要があるんだ。

深夜明けの午前9時から夜の23時までホルター心電図室にこもっていた。

悔しくて、悔しくて。

山崎さんよりも心電図波形に詳しくなってやる。

 

山崎さんとの約束通り期日までにレポートを提出した。

50枚のレポート。

1枚1枚レポートを読む山崎さん。

きっと、またレポートを床に落とすだろう。

ほとんど諦めていた。

またやり直せばいい。

 

ところが、山崎さんの表情が普通顔になっていた。

「スゲノ、心臓外科では絶えず心電図を見なさい。心電図が命のサインなんだ!」

 

山崎さんの言葉に思わず胸がつまり、

思いためていた気持ちがあふれそうになったけれど、必死にこらえて我慢した。

 

「はい!よく理解できました!指摘していただいて、ありがとうございます!」

 

私はナースステーションにある医学書を取り出しながら気持ちを落ち着かせた。

そんな私に先輩ナースが声をかけてきた。

4年目の渡辺ナースだ。

はじめてだ、私に声をかけてくれるなんて。

「スゲノさん、スゲノさんって弱い子かと思ったんだけど、ものすごい芯が強い子だったんだね、よくたえてる、泣いたところ見たことがないからさ」

渡辺先輩が私にひそひそ話をする。

私は軽く会釈して仕事に集中した。

 

なぜだか分からない。

山崎さんが私にだけ厳しい理由が。

確かに、できそこない看護師だったから、危険だと思ったのかもしれない。

だったら、私にできることは精一杯やって人より3倍やろう。

ナースコールは誰よりも早くとる。

電話が鳴ったら2コールでとる。

患者さんの情報収集のために出勤時間より2時間早く来る。

すべての患者さんの検査データーやレントゲン、CTなどの結果を把握しておく。

救急カートは毎日不足がないか確認しておく。

倉庫の整理をする。

少しでも曖昧な知識は調べなおす。

 

山崎さんが私に患者さんの所へGOといってくれるまで、できることはやっておこう。

 

山崎さんとの戦いから1年がたった。

春4月。

新人さんが入ってくる。

そしたら私は2年目になる。

それでも私は自分が看護師だとは思えなかった。

なんだろう。

看護師になる資格とか、山崎さんに言われてから気にしていた。

きっと、私の後輩は優秀なんだろうな。

私は進歩しているのかな。

そんな気持ちで4月を迎えたのを覚えている。

いつものように誰よりも早く出勤して、誰よりも早く情報収集して・・・

そんな姿を見ていた山崎さんが私に声をかけてきた。

「おはようございます!山崎さん、早い出勤ですね」

今度は、どんな質問攻撃をしてくるのかな。

絶対、答えてやるぞ。

身構えていた私に山崎さんが

「スゲノ、その作業が終わったら倉庫に来なさい」

 

あれ??

いつもの山崎さんと違う印象だった。

倉庫?

まさかリンチするとか・・・まさか・・・

恐れおののきながら倉庫のドアを開ける。

覚悟はしていた。

怒鳴られ、ののしられ、指摘され・・・また私ミスしたかな。

ドアを開けると、椅子に山崎さんが座っていた。

山崎さんが私を笑顔で見つめていた。

 

えっ??

私に向けられる笑顔、これが初めてだった。

 

「スゲノ、1年間本当にお疲れ様でした。よくがんばりましたね」

 

その山崎さんの言葉を聞いて、床に膝をつけた。

声が出なくて、何も言えなくて、1年間の辛かった思いが胸までこみあげてきた。

手で口をふさぎ、思わず声を出して涙を流してしまった。

 

「スゲノって泣く人だったんだ!スゲノが泣いているところ、初めて見たよ、驚いた」

 

山崎さんが山崎さんが鬼じゃなく美人になってる・・・

本当は心の中でたくさん泣いたんですよ。

情けなさと悔しさと寂しさと、何をやるのも一人だったし。

たくさんの課題をやりこなすのが苦しかったんですよ。

本当は。

 

それから山崎さんと私は仲の良い先輩と後輩の関係になった。

2人でゆっくり話をすることができた。

はじめてだ、こういうふうに会話ができるなんて。

 

でも、1つだけ山崎さんに聞きたいことがあった。

それを聞いてみた。

正直、いじわるされているとしか思えないときもあったから。 

 

「山崎さん、どうして私だけに厳しかったのですか?」

 

ずっと、ずっと、聞きたかったことだ。

 

山崎さんは笑って答えた。

「入職前の新人アンケート調査、あれでね、スゲノに決めたんだよね」

 

あのアンケートは性格や適性テストのようなものだった。

 

「つまり、スゲノは単純だったから」

 

えっ?そんな理由で、厳しく?

 

「スゲノなら言われたことを必ずやってくると予測していたから、他の人に同じことをしていたら、反発してすぐ退職するでしょ」

 

はぁ~。

一気にため息がついた。

単純だからって、あんなに厳しくしごかれるなんて。

ははは。

腰の力が抜けた。

 

「山崎さん、今まで私のために厳しく指摘してくださり、本当にありがとうございました、おかげで私はたくさんたくさん学ぶことができました」

 

山崎さんはにっこりして、

「スゲノ、もう立派な看護師だよ」

と、言ってくれた。

 

こんなにも嬉しい言葉はない。

あんなに厳しく認めず褒めず、私を非難してばかりだった先輩に、初めて認められた気がした。

また涙があふれてきた。

鬼の山崎さんなんて思って、ごめんなさい。

山崎さんは一流の看護師です。

山崎さんに監視されなくても、今までやってきたことを続けていきます。

 

倉庫から出ると私のプリセプターが待っていた。

「スゲノさん、がんばったね、よくがんばった。」

どうやら先輩ナース全員、私を育てる計画を企てていた共謀者だった。

拍子抜けしてしまった。

だから、皆んな素っ気なかったんだ!

私の同期は知らなかったようだ。

ナースステーションに入ると、

「おっ~スゲノ、おつかれさま、よくやりぬいたな!」

先輩ナース達が駆け寄ってきた。

親しげに私に話しかけてくる。

夢みたいだ。

本音から「安心した」の一言。

 

泥沼のような1年だった。

家には山のような手書きのレポートが積んである。

懐かしい。

 

山崎さんは、あれからイギリスの病院で看護師として働いている。

今まで働きながら医学英語と英会話を勉強して、

イギリスの看護師の試験をパスするために努力していた。

山崎さんに勝ちたいと思ったことがあったけれど、いやいや負けてますね。

ぜんぜん。

一流看護師は手強いですよ。

彼女は私以上に努力を重ねていた人だった。

イギリスに行ってしまった山崎さんから、

お手紙が来た。

手紙はなぜか全文筆記体の英語だった(-_-;)

訳すのめんどうなのにな。

山崎さんらしい。

彼女は真のナースだと思う。

心から応援している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不登校拒否の友達

中学3年、彼女が3年4組に転校してきた。
黒板の前に立つ彼女は何かに怯えるかのようだった。
彼女は何も話さない。

担任の先生が名前を呼んでも返答がない。

彼女は下をうつむき、カタイ表情をしていた。

 

彼女の名前は、渡辺さんという。

休み時間、クラスの女子たちが渡辺さんを囲む。
渡辺さんに質問したり話しかけたりしても、彼女は無反応だった。

しゃべらない、表情一つ変えない、ただ下を向いている様子だ。
表情は固く冷たい印象だった。

次第に渡辺さんの周りには誰もいなくなる。

 

私は渡辺さんを一目見て胸騒ぎがした。
気になってしょうがない。
よく分からないけど、似ていた。
昔の自分に。
不思議な感覚だった。

小学1年から4年にかけて、私は寡黙だった。
度がすぎる内弁慶で、家や近所ではたくさん喋るくせに、学校では緊張しすぎて声が出なかった。
でも、小学2年の高橋先生とクラスの人達のおかげで、寡黙が改善された。
高橋先生のギャグとクラス皆んなの反応がツボにはまり、私は学校で笑った。
初めて私の変化に気づいたのが安達くんだった。
「スゲノが笑った〜わぁ〜やったな!」
私の変化に皆んなが喜んでくれた。

卒クラス文集には、私名前が出ていた。

クラスメイトが書いてた。

スゲノさんは、明るくなった、しゃべるようになった、驚いたと。
学校でどんどんしゃべるようになり、クラス替えする頃には普通に話せるようになった。
元々、家や近所で大勢の子と外遊びしていたことが治る近道になったと思う。

そんな過去をもつ私は、渡辺さんが自分に思えたのだろうか。

気になるくせに、渡辺さんに近づけず、遠くから見ているだけだった。

クラスの女子と同様、渡辺さんを警戒していたんだと思う。
話しかけることができなかった。

 

次の日、渡辺さんは学校に来なかった。
何週間か続けて学校に来ることはなかった。

これは登校拒否だと思った。

胸騒ぎしていたことが現実になった。

彼女がどうしているのかわからない。
夜、布団の中でずっと迷っていたことに踏ん切りをつける。

朝、1時間早く家を出た。
毎日一緒に学校に行っている幼馴染のまゆみちゃんに連絡する。

先に学校へ行くようにと。
私は学校に向かうのでなく、反対方面へ向かう。
渡辺さんが学校に来ないなら、私と一緒に行けばいい。
いざ、渡辺さん宅へ。

連絡網にある住所を探して渡辺さん宅を見つけた。

アパート2階建ての2階に自宅があった。
かなり緊張していた。
かなり勇気を振り絞って、渡辺さん宅のドアをたたいた。
まったく応答がない。
自宅から学校とは逆方向の遠い場所に来てしまった。
諦められず私はドアを強く何度も何度もたたいた。

ドンドン!ドンドン!


ガチャ!
ドアがやっと開いた。
扉の向こうには渡辺さんのお父さんがいた。
においから酒を飲んでいると分かった。
かなり酔っていた。
左手には酒の大瓶をちらつかせていた。
怖いと思った。
でも、お父さんと向き合うしかなかった。


「同じクラスメイトです、渡辺さんはいますか?」


お父さんはイライラした様子。
「娘は学校にいかねぇよ、いねぇし、ガキ、朝っぱらからうるせーぞ、帰れっ!」

 

とりあえず1回目はひこう。

ひくのが得策だ。
私は、長期戦が得意だ!

 

「明日も来ます。」 

 

それから私は毎朝、渡辺さん宅へ行くようになった。

6回目トライ。

渡辺さんのお父さんの苛立ちがひどくなった。
お酒の量が増えていると、子供ながらに気づいていた。

 

「しつけーぞ、ガキいいかげんにしろ!」


大瓶が私の頭にあたりそうになる。

怖い…
私を怯えさせるつもりだ。

怯えさせて、私が来れなくなるようにするつもりだ。
何のこれしき。
怖いけど諦めたくはなかった。
私の意地だ。


「明日も、必ず来ますから!」


何かに引きつけられるかのように渡辺さん宅に向かう自分。
意地になっているのは分かっていた。
彼女が気になってしょうがないんだ。

クラスの人は、私をおとなしい子だと思っている。
でも、実際は違う。
幼馴染の親友たちはよく知っている。
意外にやんちゃで、かなり頑固で、ヘビ女だってことを。
ヘビ女は、相手がいやになる程、

しつこい、しぶとい。

 

7回目トライ。
私は一歩を踏み出そうと考えた。
渡辺さん宅のドアを閉めたお父さんを警戒しながら大声で叫んだ。


「渡辺さん!私は同じクラスのスゲノです!話したことがないけど、私と一緒に学校に行こう!

明日また来るから!来るから!」


ドアの向こうにいるかもしれない渡辺さんに叫んだ。
届いて!
届いて!

 

8回目トライ。
いつものようにドアを強く何度もたたく。

しつこく、しつこく、たたく。
ガチャっという音がした。
扉がゆっくり開いた。
扉の向こうには、お父さんではなく渡辺さん本人が制服着て立っていた。
私の顔が一気に明るくなった。


「私と一緒に学校に行こう!」


この時の喜びは一生忘れられない。
渡辺さんは、私の目をしっかり見て首をたてにふる。

 

「娘は学校にいかねぇぞ!!」


寝ていたお父さんが目覚めて怒鳴った。
私はとっさに渡辺さんの手首をつかみ、家から外へ強くひっぱる。


「逃げよ!逃げよ!」
私が叫んだ。


渡辺さんの手首を力強くひっぱりながら、2人で走った。
お父さんが追ってこない所まで。
2人とも必死に走った、走った。
夢中だった。
これで渡辺さんが外へ行ける。

 

息をはぁはぁしながら渡辺さんに言った。

教科書は学校に置きっ放しにすること。
必ず朝は制服を着ていること。
学校へ、いつでも行けるように。

それ以来、渡辺さん宅のドアをたたいても、お父さんは出てこなくなった。
私のしつこさに懲りたのと、渡辺さん本人が学校に行きたいという意思があったからだ。
ドアは渡辺さんが開けるようになり、2人で登校可能な状態になった。

 

「渡辺さんのお父さんに勝った、
諦めたもん負けだ。」
15歳の私が心の中でつぶやいたことだ。


渡辺さんが登校してから2週間ぐらいがたった頃、担任から呼び出される。
私が渡辺さん宅へ行っていることを知っていた先生。
困った、秘密にしておきたかった。
渡辺さんのためにも。
自分のためにも。


「あの、先生、これは、、、」
担任が私の肩をたたいた。
「分かってます、誰にも言いませんから、私達だけの話にしておきましょう。」

 

良かった。
先生は理解していた。

渡辺さんの置かれた環境や状況を考えると内密に学校に連れてくるべきだ。
変な噂がたち、ますます学校に来づらくなるのは嫌だった。

担任から渡辺さんの家庭環境を聞かされた。
お母さんはずいぶん昔、家を出ていったきりだということ。
父親はアル中で職場を転々としているということ。
渡辺さんは小学校からずっと登校拒否であり、引越しが多いため、学校生活をまともに過ごしたことがないという。

 

当時…
私の家も貧乏だけど、父親は誰よりも働き者だ。
私はまだ恵まれているんだ・・・そう思った。


渡辺さんが学校に来てから1ヶ月くらいたつ。

学校生活に慣れてきた様子だ。

あとは笑わして、しゃべるようになること。

なけなしの小遣いでギャグ大全集を買った。
1人で大全集を読んでは自分で笑い転げる始末だ。
かなり自信があった。
これなら笑うと。
これなら渡辺さんを笑わして、打ち負かすことができると。

学校に登校中、トライ!
すごい勇気を出してバカなギャグを渡辺さんに披露した。
自分でも恥ずかしくなるくらい。

どうだ…
あれ?
渡辺さんの表情を恐る恐る見ると、まったく無反応だった。
それどころか表情がさらに固くなり冷たい印象に。

失敗、失敗。
つまらなくてもいいから何か反応してほしいなぁ。
かなり胸が痛い。
気をとりなおして、ひるまず覚えたギャグを次から次へと渡辺さんに披露する。
結果は散々たるものだった。

私もしつこかったと思う。

休み時間や移動教室、登校中に何度もギャグを披露して自滅した。
渡辺さんは笑うどころか、表情一つ変えないなぁ。

大全集は渡辺さんに効き目がなかった。
かなり面白いのになぁ。
なんでだろう。


日直当番の日。
私が黒板消しを2つ持って廊下に出た。
廊下の窓を開けて外で黒板消しの2つを合わせて思いっきり叩いた。
あっ、向かい風だ!
ものすごい風の力で叩いたはずのチョークの粉が
勢いよく私の顔面に的中した。
鼻と口にチョークの粉が入ってきて、くしゃみと咳でもがく情けない生徒が…
私の側に誰かいる気配を感じた。
振り向くと、
笑いをこらえていた渡辺さんの姿があった。
渡辺さんの表情が変わった!


「渡辺さん、今笑ったね?  笑ったよね?

もう、こんな場面で笑うなんて〜」

 

渡辺さんは私の顏をもう一度見て、更に笑い転げる。
私の顏がチョークの粉だらけだったからだ。
渡辺さんの笑い声が廊下に響き渡る。
笑いが止まらない。
なぁんだ、大全集より私の失態が受けたかぁ〜。
私の失態でこんなに笑ってくれるなら、
何度でも失態しようではないか。

心の底から嬉しかったのを覚えてる。
表情一つ変えなかった彼女が、笑い転げているのだから。

それ以来、渡辺さんは私の言動に敏感に反応するようになり、私のどうでもいい失態を見て笑うようになった。

 

部活中、渡辺さんが私を訪ねてきた。
頭から足先まで絵の具だらけの私を見ては大笑いする渡辺さん。
私の顔面が絵の具だらけの日は笑いが増す。


渡辺さんの表情がだんだん柔らかくなってきた。

冷たい印象から一転した。

目尻や口角が上がってきている。

彼女の変化に気づくのはクラスの女子だ。
渡辺さんに話しかけるクラス女子が増えてきた。
渡辺さんが班のメンバーとうまくやっている。
そんな様子を見て安心した。
嬉しい。

あとは話すこと。

話すのは渡辺さんにとって難しい事だ。
どうしたら話せるようになるか、いつも考えていた。
時間が必要だと、子供ながらに感じとっていた。

 


私はワガママだったと思う。
渡辺さんはまともに学校生活を送った事がない。
だから、学校のクラス皆んなといた証が欲しいと思ってた。
クラス全員そろっての集団写真。
卒業アルバムに彼女を載せたかった。


卒業まで渡辺さんを家まで迎えに行こうと心に決めていた。


最後かもしれない学校生活を。
最初で最後かもしれない卒業アルバム。


卒業アルバムの写真撮影の1週間くらい前。
放課後。
私が日直当番で廊下掃除をしていた時。
私のシャツをひっぱってくる子がいた。

振り向くと渡辺さんがいた。
今まで見たことがない表情で、渡辺さんは強く強く私に何かを訴えている様子だった。
渡辺さんの表情は固く、目尻に涙の玉を浮かべていた。
私のシャツをさらに強く強く握りしめる渡辺さん。
渡辺さんが必死で何かを言おうとしている。
焦らず待つことにした。
渡辺さんの表情が険しい。
でも、涙の玉のせいか、悲しみの表情にとれた。
渡辺さんは歯をくいしばった後、

小さな声を発した。


「スゲノさん・・・・」


私の名前を呼んだ。
渡辺さんがしゃべった。
渡辺さんがしゃべった。
私は浮かれていた。
渡辺さんが言葉を発声することに気を取られ、彼女の心の内を把握するにはまだ私は幼すぎた。
ただ、少し話せたことが嬉しかった記憶だ。
握りしめていた私のシャツを離し、渡辺さんは勢いよく走って私から去る。
走り去った渡辺さんを追いかけたが、下駄箱で渡辺さんの上履きを確認する。


「明日も迎えに行くから。」


朝、いつものように渡辺さん宅へ行く。
ドアを叩くと出てくる渡辺さんがいない。
何度も何度もドアを叩いても出てこない。

何があったんだろう!

昨日のことを思い出す。
渡辺さんは、私に何かを必死に伝えようとしていたではないか。

渡辺さんがしゃべったことばかり気を取られていた幼き自分。
肝心なサインの意味をつかめられなかった。

渡辺さん宅のドアを思いっきり開けた。
ドアの向こうの部屋は空っぽだった。
誰もいない。
何が起きたのか。
私はすぐに学校に行き、事の事実を知ることになる。

渡辺さんが、引越した。

父親の仕事のため引越しすることになった。

卒業写真撮影手前で彼女はいなくなってしまった。

昨日の渡辺さんの様子を何度も思い出していた。
なぜ、気づいてやれなかったのだろうか。

自分が情けなく思えた。

卒業写真撮影には、渡辺さん以外全員揃った。
クラスの皆んなは、渡辺さんがいないことに気づかない。
渡辺さんを覚えているクラスメイトがいたら、誰だろう。
気になる。

教室に空いた席を何度も見つめながら渡辺さんを思い起こす。

彼女はもういない。

中学では親友3人に囲まれ楽しく過ごせた。
他に友達は10人以上はいた。
渡辺さんにとって私は何だったんだろうか。
私は、渡辺さんを過去の自分に似ていると思っていた。
でも、違うかな。
彼女には彼女にしかない魅力や輝きがあった。
その輝きに私は魅せられ、渡辺宅へ足を運んだんだ。
君と友達になりたくて。
友達になりたくて。


中学3年4組、スゲノジュンカ卒業。

卒業してから数週間、高校入学式を控えた時期。
私の家に一通の手紙が届いた。

差出人は、あの渡辺さんからだった。

私は手紙を急いであけた。
20枚の便箋に渡辺さんの文字がたくさん連なっていた。
慌てて文字を追いかけながらも、じっくり読んだ。
今まで話すことができなかった気持ちや考えたことなどをありのままに綴っていた。
何も話さなかった渡辺さんが、ちゃんと私からの発信を受信していた事実。

私は思わず涙がこぼれ、手紙を何度も読んだ。

手紙の最後には、渡辺さんの連絡先番号と引越し先住所が書いてあった。

 

卒業アルバムを開いた。
3年4組。
渡辺さんの写真は、隅のはしに証明写真を後から糊付けされていた。
あと少し頑張ったら、クラス写真に加われたのにな。
私はすぐに渡辺さんに返信用の手紙を書いた。

 

 

渡辺さんの手紙に嬉しい言葉があった。

「スゲノさんは、私の最初の友達です。」

ありがとう。
ありがとう。


渡辺さんは中学を卒業してから就職をした。

父親から離れて1人で生活していく。

たった16歳で社会人だ。
自活する彼女を心から応援していた。
彼女は学校では名も知れない生徒だった。
でも、私は見ていた。
ちゃんと中学の彼女を覚えている。

学校生活を1年送れた思い出は、一生の財産だと思う。

渡辺さんとは、今もずっと友達だ。
世帯を持ち暮らしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉がみつからない立場

言葉の力や影響力を身をもって知っているだけに、私には家族にかける言葉を失った経験がある。

一生忘れない記憶。

 

看護師4年目の春先。

臨床病棟42床の循環器血管外科と呼吸器外科の混合病棟。

深夜勤務3人。

満床の深夜勤で私がリーダーで他は新人と同期。

ナースステーションには心電図モニターが18台あり、アラーム音がなるたびに神経をとがらせる緊迫した環境で病棟を仕切らなければならなかった。

急変のリスクのある患者数は把握していた。

今夜は何も起こらないでほしい。

今夜は無事で過ごしてほしい。

先輩がいない深夜勤の仕事、いつもより慎重に心電図モニターを監視する。

どうか、どうか、急変が起こりませんように。

心電図の波形を細かく確認すると同時に重症患者のところへ何度も足を運ぶ。

大丈夫だ。

「朝まで42床の患者さんは無事に過ごすことができる。」

自己暗示して、絶えず冷静に判断し新人と同期に指示する。

尊敬する松木平看護師の言葉を何度も頭の中でリピートさせる。

人の命を預かる仕事の重みを感じ取る重責を抱えながら、一つ一つ学んだどうりに的確に指示をだす。

 

そんな矢先、思いがけない患者さんからナースコールが鳴り響く。

昼間は戦場化したナースコール音なのに、

夜勤のたった一つのナースコールが鳴り響いた。

 

新人がアラーム音を消す。

 

「トイレですかね、それとも間違いか、いたずらですかね。」

新人がにっこりして病室へ向かう。

 

ナースコールの消滅ライトは仮名田崎氏からだった。

 

田崎氏の消滅ランプ!

彼は違う。

これは、急変だ!

彼は入院してから1年、1度もナースコールを押したことがない。

看護師の労力に気をつかうために、ナースコールを鳴らさない人だった。

彼は明日退院予定の人。

明日、退院だからといって、油断してはいけない。

油断する新人に私は思わず怒鳴ってしまった。

 

「救急カート!救急カート!

田崎氏急変!田崎氏急変!」

 

看護師3人で田崎氏の大部屋に救急カート共に走る。

夜中の病棟廊下を走る。

ガラガラと救急カートが走る音が病棟中鳴り響いた。

田崎氏の大部屋に入室する。

大部屋の洗面台の前で吐血して倒れている田崎氏を発見する。

吐血は、鮮血フレッシュだ。

田崎氏の衣類とベッドシーツ、洗面台の下の床に、大量の吐血があった。

退院前日のため、田崎氏のベッド周囲には医療器具はない。

ましてや、ここは病棟の大部屋だ!

 

私の頭が一気に真っ白になった。

新人も同期もきっと同じだっただろう。

 

冷静にならなくちゃ。

しっかりしろ、しっかりしろ。

リーダーなんだから指示を出さなきゃ。

真っ白になった頭を元に戻すのに必死だった。

 

田崎さんはアレスト(心肺停止)だった。

大量吐血から即死に近い状態だと悟った。

解離性大動脈瘤2型で上行大動脈血管置換術をした田崎さん。

上行大動脈は心臓から最も近い血管。

吐血とアレストは、心臓に近い上行大動脈に何らかの問題が起きたからだ…

人工血管吻合部に感染を起こし、難治性の抗生剤耐性による1年入院。

やっと炎症所見が正常化したのに…

やっと退院できると思ったのに…

人工血管吻合部の長期感染の影響で裂けた。

人工血管吻合部が長期炎症の後遺症でもろくなったと予想する。

洗面台で歯磨きをしていた田崎氏。

気管支刺激による咳嗽で、もろかった人工血管吻合部に圧力がかかり、裂けたと予想する。

大血管からの大出血によるショック死。

田崎さんを看て、そう判断した。

 

明日、退院する予定の田崎氏。

昨日、田崎氏の奥さんと私が退院の喜びを抱きしめ合って喜んだのに…

1年看病をしてきた奥さんの喜んだ顔が忘れられない。

田崎氏がどれだけ苦痛つづきの入院生活を我慢して耐えてきたか…

こんなところで死ぬわけないでしょう!

奥さんが待ってますよ!

50歳の田崎氏。

まだまだ、これからですよ。

絶対、生きて奥さんのところへ帰りましょうよ!

 

即死に近い状態だと分かっても、私は諦められなかった。

意味のない蘇生だと分かっている。

病棟の大部屋で開胸して、裂けた血管吻合部をなんとかしなければ、蘇生しても意味がない。

ここは病棟だ。

医療器具がない。

オペする環境がない。

医師は呼ばないと来ない。

夜は看護師3人だけだ。

 

それでも、気持ちが諦められずにいた。

絶対、奥さんのところへ帰したい想いが強かった。

 

循環器血管外科の当直をコールしても反応がない。

何度も何度もコールをしても返事がない。

プライベートの携帯にもかけまくった。

携帯から留守電がつながる。

思わず電話を床になげつけた。

悔しくてたまらなかった。

なんで、なんで、ここは病棟なんだろうか。

田崎氏がセンターやICUで急変していたら、助かったかもしれないのに!

医療環境が整った場所で、24時間体制で医師がいる。

緊急オペだってできる。

病棟には医師がいない、悔しい。

そう何度も何度も悔しい思いをした。

私は意地になっていた。

担当の循環器外科医師を諦めたのだ。

すぐに呼吸器外科の当直をコールした。

呼吸器外科!!

呼吸器外科の医師を説得する。

涙目になりながら助けてくださいと叫んだ。

助けてください!

助けてください!

呼吸器外科が上行大動脈血管吻合部をなんとかできるわけではないと分かっていた。

ただ、奥さんが病室に来たときに、慰めでも少しでも納得できるように、医療者が誠意を示すべきだと思ったのだ。

医療者が全力を尽くして田崎氏を助けようとしている誠意だ。

看護師だけで蘇生するのではなく、医師も加わる。

即死に近い田崎氏に治療の手立てはないからこそ、医師も蘇生に加わってもらいたいと思った。

 

呼吸器外科の当直は私に文句を言いながら、循環器外科の田崎氏の蘇生に手を貸してくれた。

即死の田崎氏に仮の呼吸器を装着。

挿管はしていないが、挿管しているように見せかけた。

循環器モニター管理をしながら、心肺蘇生をする。

呼吸器外科の医師が循環器外科の患者をみていることは、当時の現場では見られないことだった。

そのときの私は、田崎氏と田崎氏の奥さんの顔しか頭になかった。

最後まで全力を尽くす姿勢を奥さんに示し続けたかった。

それだけだった。

絶対後悔しないために。

 

朝方、5時頃にようやく循環器外科の医師がくる。

もう、死後硬直している田崎氏を大部屋から個室へ移動させる。

まだ、死亡確認はされていない。

奥さんがまだ、田崎氏は生きていると思って病室の前に立っていた。

野次馬の患者さんが田崎氏を見ようとする。

大部屋から個室移動する際、

廊下で患者さんが出て見物していた。

思わず私は新人に叫んだ。

「全室のドアを閉鎖!!」 

 

我ながら、驚く。

怒鳴ったり命令したり罵声を上げたりする性格ではないのに、

とっさに出た私の言動に自分で驚く。

 

田崎氏の奥さんは震えていた。

震えながらベッド上の田崎氏を見守っていた。

 

田崎氏は仮の呼吸器装着がなされ、移動中も医師とナースが蘇生する。

蘇生しながら個室へ移動した。

 

今日、1年かけて入院して退院するはずの田崎氏がこの姿で奥さんに見せなければならない。

死後硬直してきた田崎氏の体を奥さんに渡さなければならない。

 

前日まで、私は奥さんと退院の喜びを一緒に語り合った。

 

そんな奥さんにどんな言葉をかけてあげればいいのだろうか。

 

分からない、分からない。

 

私は人としてこんなにも未熟で看護師としても未熟で、言葉をかける資格がないように思えた。

 

田崎氏の体に触れた奥さんが青ざめた顔をしている。

あの時の奥さんの顔が忘れられない。

奥さんの前で医師が死亡確認をする。

奥さんは、一体何が起こったの?夢でしょう?という。

深夜のナースコールがあったのは1時半。

即死に近い状態。

奥さんに死亡確認したのは、朝の10時。

 

リーダーの私と奥さんで田崎氏を解剖室に運ばなければならなかった。

田崎氏は紳士的で1年ベッド上安静を強いられたのにも関わらず、看護師の労力をねぎらってくれる真心ある患者さんだった。

田崎氏の方が何十倍も辛いはずなのに、看護師の労働を気遣い心配してくれるような素敵な人だった。

田崎氏の奥さんが私に感謝の意で金を渡された時、困り果てて悩んでいた私を助けてくれた田崎氏。

 

「わたしは、あたなたの気持ちがよく分かります。お金を私が預かります、だからあなたは、妻に気遣わず接してくださいね。」

 

田崎氏の私への思いやりが胸にしみてしみて、トイレで涙したのを覚えている。

 

そんな田崎氏を私が奥さんと一緒に解剖室に運び、医師の解剖を見守らなければならない状況。

 

私は、入職してから決めていたことがあった。

どんなに辛くても病棟やナースステーションでは絶対泣かないと…

なぜなら他の患者さんの迷惑になるからだ。

緊張感を失ったら、助けられる患者さんを見落とすことになるから。

いつも毅然と冷静に判断し客観的視野を保つために、絶対泣かないと。

感情は抑えろと。

 

でも、解剖室で解剖する台に田崎氏を乗せてから、

田崎氏の顔を見たら、涙がどんどんあふれてきて、

止まらなくなってしまったのだ。

もう、もう、日勤の看護師が来たからいいよね?

深夜勤はとっくに終わりの時間だから。

深夜業務は終了だ。

涙を流していいんだ…

田崎氏の奥さんが泣き崩れて、床に伏せった。

田崎氏の奥さんは悲鳴をあげながら泣いていた。

私も思わず床に泣き崩れた。

今日、一年ぶりに家に帰るはずだったのに。

田崎氏の奥さんにかける言葉が全然思いつかない。

わからない。

たやすく言葉をかけてはいけないような気がしたんだ。

どんな言葉をかければいいのか、頭の中でぐるぐる回っていた。

情けない、情けない。

田崎氏の奥さんの背中をさすったり、手を握ったりしてみた。

どんな言葉も田崎氏の奥さんの心には届かないだろう。

学生のとき、家族看護を勉強したけど、実践ではまったく分からないよ。

奥さんと一緒に泣いてしまった未熟な私だ。

 

解剖室での処置が終わり、やはり予測通り人工血管吻合部の破裂だった。

私は奥さんに深々と頭を下げて、無言のコミュニケーションをするしかなかった。

松木平さんに教わった、誠意のかたち。

力の尽くすかぎり奥さんに誠意のかたちを示した。

頭を深々と下げ固定する。

微動だにしない姿勢で心をこめて相手に示す。

奥さんが解剖室から離れ、

病院を出ても、

奥さんが見えなくなるまで、

見えなくなっても、誠意のかたちを示し続ける。

ずっとずっと誠意を示した。

これは、医療者自身の慰めの行為だと思った。

松木平さんが教えてくれたこと。

 

夜勤明けで帰宅したのが16時だった。

昨夜は22時出勤して…20時間病院にいた。

眠いはずなのに、まったく眠れなかった。

神経が過敏になっていた。

田崎氏と奥さんのことばかり考えていた。

悔しくて情けなくて。

 

私は、あれから田崎氏のことがあってから猛烈に循環器について勉強した。

そして、家族看護について非常に興味を持ち文献を読み漁った。

家族看護は実務経験が必要不可欠だとわかった。

教科書だけでは学べない分野だと。

私が看護師を続けていたら、家族看護を研究していたと思う。

田崎氏の奥さんの表情が今でも忘れられない。

奥さんへの看護をする経験があったなら、

いつも思い出すたびに後悔する。

でも、田崎氏と奥さんから私に伝えてくれたメッセージや言葉の重みを一生背負うことができた。

今となっては、一言でいえば、感謝だ。

未熟な私に大切なことを教えていただき、ありがとうございました。

田崎氏、1年間の拘束された環境で愚痴一つ言わず温かい言葉で私を励ましてくれました。

あなたは私の恩人です。

ありがとう。